記者のぶらさがりはやったほうがいいだろうの経済学

 ここ20年ぐらいいた首相の中ではもっとも個人的に面白いんだけどなあ。これで景気対策がもっとまともだったら

 Baatarismさんに教えていただいたニュースから

 【麻生首相ぶらさがり詳報】「ホテルのバーは安全で安い」(22日昼) (1/4ページ) - MSN産経ニュース
  http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810221334005-n1.htm

 しかしこの記者も結果、面白い記事がものにできてラッキー(?)だね。

ところでこの記者さんの「ぶら下がり」が、首相が「高級料亭」ではなく「安全で安いホテルのバー」を使うことになったとするならば、その記者の「ぶら下がり」はやめるべきではない(ネタ)。

 なぜならばそれは以下のように簡単に説明できるからだ。

この図では、麻生首相の会合のための飲食需要曲線が青い右下がりの曲線で描かれている。価格が低くなればなるほど飲食への需要が増加する。他方で緑の曲線は「高級料亭」の供給曲線、赤の右上がりの曲線は「ホテルのバー」の供給曲線である。

 記者も首相も記事をみればわかるように「高級料亭」よりも「ホテルのバー」の方が安いことには同意しているようだ。したがって「高級料亭」を利用したときの飲食の価格と購入量の組合せは、(P'、Q')であり、他方で、「ホテルのバー」の場合は(P,Q)である。

 首相は記者の「ぶら下がり」(首相にとっては「営業妨害」)がなければおそらく「高級料亭」を使うだろうが、この記者の「ぶらさがり」によってより安い「ホテルのバー」を選ばざるをえない。

 このとき「ぶら下がり」のあるケースと「ぶら下がり」のないケースとを比べてみるとどんなことがいえるだろうか。

 経済学には消費者余剰(買い手が支払ってもいいなと思う額と実際に支払った額との差)と生産者余剰(売り手が受け取った額から費用を引いたもの)という考え方がある。このそれぞれが大きいほど消費者も生産者もそれぞれ経済的な福祉が大きいと考えてもいい。

 「ぶら下がり」のないケース、すなわち「高級料亭」のケースでは、消費者余剰はAE'P'であり、生産者余剰はP'E'B'である(図で描き忘れたがB'は垂直線と緑の曲線が交わるBの上に位置するところにある)。

 それに対して「ぶら下がり」のあるケースすなわち「ホテルのバー」のケースでは、消費者余剰はAEP、生産者余剰はPEBである。

 図をみれば記者の「ぶら下がり」のあるケースの方が、ない場合にくらべて社会全体の総余剰(消費者余剰と生産者余剰の和)が増加している。したがってこの記者の「ぶら下がり」をやめる理由はない。むしろ「ぶら下がり」は社会全体の経済的な福祉を増加させている。また麻生首相の「ホテルのバー」を選ぶ選択も合理的である支持できる。

 さて珍問答の最後に記者はお金に色はつけられないから、首相は補助金を返還すべきだ、といっている。これもこの図をもとに考えることができる。もちろん補助金助成金は厳格に使途が決まっているので呑み代に直接まわすことはできないと考えよう(実際の使途は知らないのでここではそう仮定する)。

 また記者のいいたいことは補助金助成金を得ることで、一種のぜいたく効果(補助金助成金を得ているということがそれを利用することがなくても得ているという事実自体が需要を誘発する)が働くのだと理解できる。

 「ぶら下がり」は依然としてあるのだから青い需要曲線と赤い供給曲線の組合せがどう変化するかで考えるべきだろう。すると図から首相の需要曲線は、記者のいうことを真にうけてみると、補助金助成金がなくなってしまうと「ぜいたく」をしなくなるので需要曲線は図でみると左側に水平にシフトするだろう(図は省略)。すると以前よりも図ではより小さな社会的総余剰しか得ることができなくなることがわかるだろう。すなわちこの記者の首相への要請(お金を返還せよ)というものは、首相に遮られたように、社会からも遮られたほうがいいと思われる。

 もちろん本当に補助金助成金を呑み代に不正に流用していたらそれはそれで以上の議論とは別問題であるのはいうまでもない。つうかネタ(冗談)になんつう時間かけて書いたのかw