ケインズ自身の「流動性の罠」からの脱出法

 小島寛之さんの『容疑者ケインズ』に影響を与えているのが、宇沢弘文先生のケインズ解釈でした。その宇沢先生の『ケインズ『一般理論』を読む』が文庫になったようですね。文庫版の方は持ってませんが、たまたま部屋に著作集版があったのでそれをペラペラ見てましたらちょっと驚きました。

 以下は、宇沢先生の本からの引用。

「貨幣に対する需要は、流動性選好をみたすという動機にもとづくが、貨幣利子率は、貨幣と他の金融資産の相対的関係が変わってもあまり変化しないという特徴をもつ。と同時に、貨幣の供給は、生産に関する弾力性がゼロ(あるいはゼロに近い)であり、代替の弾力性もまたゼロ(あるいはゼロに近い)となる。すなわち、資産保有は主として貨幣の形で行われ、貨幣の相対的価値が上っても労働の雇用を貨幣供給の増加に向けることはできず、貨幣の代りに、貨幣の役割を果たす資産への代替の可能性も存在しないことを意味する。このように「流動性の罠」に陥っているような状態では、解決策は貨幣供給量の増加である。もっとも投資の限界効率表をなんらかの手段で上方に移動させることができればよいのであるが」(同書、268頁)。

 宇沢先生はフリードマンマネタリスト的金融政策を非弾力的な貨幣供給政策だとして批判しています。そして上の発言も非弾力的な貨幣政策では「流動性の罠」=不況を脱出できない、という意味で、ケインズの発言を利用したマネタリスト批判の様相を持っています。

 しかし宇沢先生のマネタリスト批判はこの際どうでもよく、その「流動性の罠」=不況の解決策として、宇沢先生が貨幣供給量の増加、投資の限界効率表の上方移動を考えていたことは面白いことです。後者については、期待に作用する政策(レジーム転換)の可能性さえも排除されないと思うのですが、日本ケインジアン(宇沢先生に近い立場)では代表的には小野先生の産業政策的な発想がその代表案でしょうか?

 ところでこの箇所のケインズの原文http://www.marxists.org/reference/subject/economics/keynes/general-theory/ch17.htmを以下に

:The significance of the money-rate of interest arises, therefore, out of the combination of the characteristics that, through the working of the liquidity-motive, this rate of interest may be somewhat unresponsive to a change in the proportion which the quantity of money bears to other forms of wealth measured in money, and that money has (or may have) zero (or negligible) elasticities both of production and of substitution. The first condition means that demand may be predominantly directed to money, the second that when this occurs labour cannot be employed in producing more money, and the third that there is no mitigation at any point through some other factor being capable, if it is sufficiently cheap, of doing money’s duty equally well. The only relief — apart from changes in the marginal efficiency of capital — can come (so long as the propensity towards liquidity is unchanged) from an increase in the quantity of money, or — which is formally the same thing — a rise in the value of money which enables a given quantity to provide increased money-services.:

 これをみますとケインズ自身は3つの可能性をあげてますね。ふたつは宇沢先生の指摘の通り。もうひとつは、なんとデフレを極端にまで推し進めることでしょうか? もっとも間宮陽介訳では丁寧にケインズ自身はこの政策がさらに経済を不安定化させるものとして否定的である旨を書いています。邦訳上巻訳注330(401-2頁)で、「貨幣価値を上昇(物価水準を下落)させることによって、名目貨幣量に変化がなくても実質貨幣量を増やすことができる。同じことは賃金単位を切り下げることによっても可能だが、それが多々問題を孕んでいることが本文の326-328ページ(イ)(ロ)(ハ)で論じられた」とあります*1

 整理しますと、ケインズ自身が流動性の罠の脱出で

1)貨幣供給量の増加(名目貨幣量の弾力的な膨張政策)
2)資本の限界効率表の上方シフト(産業政策とか期待のシフトとか)
3)清算主義(デフレ政策による実質貨幣量の膨張ないし賃金単位の切り下げ)

を頭に描いていて、3)は別な個所でダメである、と考えていて、1)を肯定していることが面白く思えました。というか少なくとも宇沢先生の解釈では排除されていないわけです(積極的な貨幣政策ならオッケイというわけでしょう)。

ケインズ『一般理論』を読む (岩波現代文庫)

ケインズ『一般理論』を読む (岩波現代文庫)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

*1:おそらく稲葉振一郎流貨幣的ケインジアン労働市場分析の肝にあるのは貨幣賃金の切り下げがかえって経済を不安定化する、というものであろう。この考え方は現在のメインストリームでは異端的なものかもしれないが、それでも一部の経済学者、例えばトービンなども支持していた見解ではある