トマス・シェリングのトイレをでたらめに流す、を求めて


 昨日のグリーンスパンエントリーの続きはどうしたって? いや、いま忙しいですよ、今度の新刊の締め切りが近いのでここ1週間ほど大変でしてごにょごにょ。


 というわけでそんな多忙な私が朝一で調べているのが、デビットが望月さんの訳した日本版の増補版『ヤバい経済学』の中で書いてた、シェリング(あ、ノーベル経済学賞受賞者です)が講義中にしゃべったとされる「トイレをでたらめに流す」という話。まあ、なんでそんなの調べてるんだ、というのは置いといて、やはりレビットの本でしか見つからない。


ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]


 それで終わるのはあまりに悲しい。だってトイレを清潔に使うとか、あるいは排水管のつまりをどうするかなども、経済学の問題じゃないですか。後者なんて木村剛氏とリフレ派の根深い対立もありましたし(『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』(春秋社)の訳者解説参照)。


 経済学は偉大なり(そうか? 笑)。日本の女性だってトイレの便座が下りてないとすっげえ、嫌ですよね。確かそんなアンケート調査もありましたし、そもそも人類?いや男類たるもののエチケットでしょう。


 ところがハマッド・アルサバー・シディッキ氏によれば、そのような男性が小用使用後に便座を下ろす慣習は社会的に非効率的である、ことを理論的に証明しました。これがその論文。http://mpra.ub.uni-muenchen.de/856/


 この論文では女性に「あなた、なんでトイレの便座を下ろさないのよ!」といわれるのが怖くて(あるいは「お願いだから閉めといてね ハート」とかいわれるのも同じ)、そのために使用時のままの状態にしておくほうが効率的なのに、便座を下ろすという戦略を男性は選んでいる(女性もそのときはあたりまえともいえますが便座を下ろして終了なさっております)というわけです。


 この論文の結果はかなり強力ですが、それでもシディッキ氏は政府介入を求めることや、将来この慣習が放棄される見込みは、当面はないだろう、と語っております。補足として日本でこの論文を紹介しているのが「医学都市伝説」さんのここ


 ところでこのシデッキさんの枠組みはなかなか使えて、当ブログのエイプリルフールネタであるここのミクロ的基礎にも応用可能です。この僕のケースではさらに興味深い社会的な非効率性が発生していて、なんとトイレを上司の眼をおそれて能力効率的に使用すると、失業が発生してしまうのです!。


 しかしシェリングのネタを知りたい‥‥。