1996年にケネス・ラックスの『アダム・スミスの失敗』を翻訳した。いろいろな人たちに助けていただいた処女出版物である。ラックスは心理カウンセラで、同時に経済学者のマーク・A・ルッツとともに「人間主義的経済学」を提唱していた。通常の経済学を消費者の効用最大化をその目的ととらえるならば、彼らは「人間的価値」(自己評価、自己実現)の最大化を目指したといっていいだろう。ラックス、ルッツらの貢献は、心理学者アブラハム・マズローの欲望の階層論に基礎を求めていた。
さて最近、橋本努さんたちの『現代の経済思想』を読んでいたら、そのヴァン・スタヴェレンの業績に関心がいき、彼女の編纂論文集をみていたら、ルッツの最新論文が掲載されていた。ルッツ「“陰鬱な科学”ー依然として? 経済学と人間らしい生きがい」という論文。原題のHuman Flourishingは、アリストテレスの幸福(エウダイモニア)の訳語と考えた方がいいだろう。そのため「アリストテレス的経済学」を構想するスタヴェレンの論集に掲載されたのではないだろうか。
ルッツの主張は相変わらずだが、経済学は物的な消費・生産を対象に自律的な選好を中心に構築されてきた。しかし自律的ではない選好(たまたま環境制約からその選好を所持しているにすぎないケース)を見逃してしまっている。そのため経済的効率性と人間的福祉の対立が、いつまで経っても経済学のなかで解消されない。
ルッツは特に「経済的不安」に注目する。具体的には、1)接近可能な医療的ケアの欠如、2)退職後の十分な所得の欠如だ。この両者は、いまの日本でも医療問題(難病治療などを含めた)、老人の経済格差としてもとらえることができるだろう。
特にルッツは「職の不安」job insecurityに注目する。この「職の不安(=職を失う事)」が、個々人の個性の発展を阻害したり、アリストテレス風にいえばエウダイモニアを得難くする。
失業に直面する可能性、安定的な雇用環境の阻害などが、21世紀の世界では急激に高まり、それがマズロー的な自己実現や自己評価を阻害してしまう、というのがルッツの見方だ。
もちろんこの図式には問題点も指摘できる。そもそもマズローの欲望の階層説では、その最も極端なケースは、生理的なニーズが満足されてから、より高次の物財の消費、そして精神的、社会的、さらには「社会を超えた」(社会の多数に流されない自律的な意見を持てることなど)状態に移行していくことができる。
ところが最も基礎的な生理的欲求(十分なカロリーの摂取など)を満たすこともなく、マズロー的には上位の「自己の尊厳」的な段階に移ってしまうこともあるだろう。例えば、バナジー&デュブロの『貧乏人の経済学』では、そのような最低限のカロリーが満たされていないのに、貧乏な人が見栄や知的関心から食料以外のものを購入してしまうケースが描かれている。また宗教的な苦行などはどうとらえればいいのだろうか、あるいは自己実現セミナーのかっこ付きの「自己実現」など。傍からみれば、それは個性の抑圧に等しいようにも思えるが、主観的には「エウダイモニア」的境遇にいる可能性が否定できない。
ただ「職の不安」というものが、人間性を疎外してしまうケースというのは僕にも異論はまったくない。その意味で、久しぶりに読むルッツの論文は面白いものだった。
ルッツの論文が掲載されている論集は以下。

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