チキンゲーム化する政局と日本経済の不安定性の高まり


 以下は一種の試論である。「政策不況」という言葉が独り歩きしているが、仮に政治闘争が不況につながるか、それを増幅するとしたらどんな点でか、を自分なりに整理してみたかった。政治的床屋政談から少しでもフォーマルな議論にもっていければいいのではないか、と思っている。


 とはいえ、オリジナルなものを考えたわけではなく、以下の試論は単にトーマス・サージェントの論文「レーガノミックスのクレディビリティ」をダイレクトに援用したものにすぎない。サージェントの分析に、単に政府・与党、民主党(野党)、日本銀行として固有名をそれぞれ与えた「だけ」の分析である。翻訳は『合理的期待とインフレーション』として出版されており、特に翻訳48ページの議論をできるだけ簡略して利用しただけである。以下の話は厳密性を気にせずにできるだけ直観的に説明していく。もし僕の説明が気に食わない人は前記サージェントの本を直接参照されたし。


 この政治経済上の闘争を表すダイナミックゲームのプレイヤーは三人である。民間経済主体(消費者世帯、政府系機関、企業)、政府、日本銀行である。後に政府部門は対立する主体によって二分割される。


 民間部門:消費、投資、租税支払、政府債務の購入・蓄積をそれぞれ現在から将来にかけて行う。


 政府:現在から将来にわたる財政赤字率(政府支出が租税収入を上回る金額)の大きさを決める。政府はつまり政府支出の大きさ、そして税率の大きさのふたつをコントロールできる。


 日本銀行:現在から将来にわたる国債と通貨をどれだけの比率で保有するかを公開市場操作を通じて決定する。これは財政赤字国債でファインスするか、または通貨の発行益でファイナンスするか、その両方をどれだけの割合で行うかを、日本銀行が決定権を握っていることを意味する。この政府債務の構成をどのように決定するかを日本銀行は政府から「独立」して行っている。これがいわゆる「中央銀行の独立性」の意味である。


 政府の予算制約は以下の式で直観的に表現できる。


(A) 政府支出−租税収入=実質ベースでの通貨の新規発行+ネット*1の有利子負債の発行


 左辺は実質財政赤字とも政府余剰とも表現される項目である。右辺はその財政赤字ファイナンスの経路をふたつの項目で表現したものとなる。直観的にダイナミックゲームはこの政府予算式が現時点から将来時点まで成立していることを想定しており、以下ではこの式を中心に現在の政治闘争の経済的影響が考察される。


(A)式は、採用される政策ルール*2によっては、政府と日本銀行が協調行動をすることが必要であることを示している。

 例えば、政府が未来永劫財政赤字の拡大を避けている場合。卑近な例でいえば構造改革主義路線や財政再建派、財政タカ派路線などを示す。一時的に減税して財政赤字を増やす場合でも将来的にはその分を黒字化することで相殺するとき、日本銀行は赤字ないし黒字をすべて有利子債務の発行・償還で行うよう協調するだろう。そのとき通貨の新規発行はゼロであり、要するに金融政策は引締めスタンスを未来永劫とる(第1協調ルール)


 その反対に未来永劫財政赤字の拡大をもくろんでいるときには(恒久的減税とか、戦争での出費とか)、日本銀行はそれを通貨の発行益で賄うように行動することが求められる。左辺の第二項が今度はゼロと考えておくとわかりやすい。このとき金融政策のスタンスは「緩和」的な態度を未来永劫とるものと予想されている(第2協調ルール)*3


 この協調ルールが確立されていないケースではどのようなことが起きるだろうか?


 そのひとつのケースとしてサージェントはチキンゲームのケースを解説している。これはレーガン政権初期に成立していたケースであるという。つまりレーガンは、一方では中央銀行に緊縮金融政策のスタンス(左辺第1項はゼロ)を未来永劫とらせる。もう一方では政府に減税を約束させ未来永劫の財政赤字の拡大を行う。これは先の二例とは異なり、政府と中央銀行は異なる経済ルールに従っているといえる。


 サージェントはこの状況をチキンゲームと表している。これは政府は第2ルール、中央銀行は第1ルールを採用しているので、どちらかが根負けをして自らのルールを放棄し、他のルールを度胸なく採用するはめに陥ることを形容している。


「通貨当局が、何が何でもすべての将来において緊縮的金融政策に固執することを約束する一方で、財政当局は無限の将来にわたって財政赤字が大幅の正の値をとる、租税・支出計画を実行に移しているのである。通貨当局が当初の政策をかたくなまでに固執し、未来永劫政府債務の貨幣化を行わないとすると、最終的には政府予算制約式は、財政当局が降伏し、予算の均衡を図るよう強要する。一方、財政当局が財政赤字固執し、財政赤字の流列の削減を拒否したとすると、最終的には政府予算制約式により、通貨当局は赤字の大部分の貨幣化を強要されることになる。ここで明らかなことは、通貨・財政当局のいずれが一方が最終的に折れなければならないということである。そうした者はチキンとよばれる」(邦訳46-7)。


もちろんこのようなチキンゲームに陥ると、民間経済主体の先行きの予測が不確実になり、投資、消費、資産選択などが不安定化する。


 このチキンゲーム状況をさらにいまの日本にあてはめると、政府をいま、政府支出のコントロール権をもつ政府・与党(つまり予算権を最終的に持っている)、税率のコントロール権を事実上持っている野党民主党が存在している。つまり政府予算制約の左辺の決める主体がいま二分割されていると考える。また金融引締めスタンスをとる日本銀行がいる。


 いま民主党の戦略は財政タカ派財政再建至上主義である。マスコミもネットでの議論もこの点には依存はないだろう。しかし当面、民主党が行う戦略はガソリン税の廃止など恒久的な減税と思われるものである。ここだけに注目すると森永卓郎さんが喜んだように減税でリフレ効果を持ってしまう。しかしそもそも民主党の戦略は財政タカ派であった。ではなぜガソリン税廃止なのか?


 実は金融引締めスタンスをとる日本銀行と協調することで、民主党財政タカ派の戦略をよりすみやかに実現することが可能になる。


 民主党日本銀行も政府支出を直接コントロールはできない。しかし両者は協力することで政府・自民党に圧力をかけることができる。つまり将来にわたる税率を引き下げる、さらに日本銀行が将来にわたり金融引締めスタンスを採用すると、先の政府予算制約をみたすために、自民党に政府支出を削減すること(=減税分の赤字を将来の黒字で補填すること)をとるように臆病者チキンになれと降伏を促すことが可能になる。自民党が実際に上げ潮派として政府支出をコントロールしようとしていてもこのチキンゲームに負けてしまうとそれは不可能になる。


 さて現状、民主党は何がなんでも財金分離論を利用して、ほぼ日銀出身者で日銀を固めようとしている。これは露骨な日銀への秋波となっている。秋波とならなくても事実上、オール日銀の様相なためにその日本銀行の政策は今後も以前とかわらぬ緊縮スタンスが続行されるだろう。暗黙の協調が可能である(言葉のうるさい定義は考えない)。


 民主党日銀総裁選出での財金分離論とガソリン税廃止の恒久化の戦略は、もしこれが世論の味方を大幅につけるようであれば(つまりより自民・政府を世論の顔色をうかがうチキン化に成功すれば)、かの政党は自民党から事実上の予算権のコントロールを奪うことが可能である。


 ところでこのような日銀・民主党の主導によるチキンゲームについて、サージェントの言葉を借りれば、「この特定の戦略は、小さな政府を標榜するものからみても魅力的であるが、それは、こうした主導権争いを通じて財政・金融制度に注入された不確実性が国民所得や雇用の動向に対して、過度のマイナス効果を与えないことが保証された場合にかぎられるのである」としている。そして衆目の一致するところ、日本の景気後退が事実上始まり(割り引いてもその可能性はかなり大きい)、まさに政治闘争が「政治不況」に至る経路が上記のようにとりあえず示せるのではないか?


 私を含むいままでのさまざまな政治談議にとりあえずフォーマルな装いを加えてみたいと思った次第である。


合理的期待とインフレーション

合理的期待とインフレーション


 参考政局がらみのブログで参考にした記事
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080405/1207348103
http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080404/p1
http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080326/1206502622

*1:新規発行分から満期を迎えた元利支払いを引いたもの

*2:政策レジームとした方がいいが床屋政談+ の趣旨から馴染みやすいこの言葉を使う

*3:もちろんこの第一.第2の中間形態もあるが、リフレレジームを含めていまは考慮の対象外