齋藤誠「大学の事務当局にも評価制度を」(『週刊東洋経済』)


 日本経済のマクロ面の評価についてはほとんど同意したことがない人なんですが、今週のコラムには肯く点が多々ありました。ただしこれは齋藤氏の発言というよりは無視されがちな“常識”でしょうけども。あと「研究大学」という括りでなくとも別にいいと思います。


 書いてることは、研究大学の経済学部では、教官が年に数本の論文を英文学術雑誌中心に発表し、数年に一冊著作をまとめる(研究面)


 専門分野の基礎を講義して、学士・修士・博士論文を指導する(教育面)*1


 この両面を地道にやることが必要十分である、というもの。


「ある大学のランキングが冴えないとすれば、その当たり前のことができていないだけである。そうした事実から目を背けて、何か特別なことをしてもまったく意味はない」。


 “特別なこと”をして研究に地道に励む研究者・教育者の意欲を削ぐ可能性のある大学は多いと思います。特に私大に外部評価を意識してイレギュラーなことをやる傾向が強いのですが(というかそんなイレギュラーを評価する外部評価制度があったとしたらそれが問題)。


 後半の齋藤氏のオリジナル意見である大学事務当局の評価制度導入の必要性ですが、研究組織の長が事務組織の長を評価する、ということですが、これは国立大学法人のことは全然わからないのですが、私大ではどうなんでしょうね。国立大学法人も私大も理由は異なれ、事務当局と研究組織の力関係はだいたい齋藤氏の提案と逆ですよね。これは僕も問題があると思っています。

*1:田中はどうよ、というネット的厨房質問があるでしょうがw 研究については、日本経済思想史の英文誌は存在しませんので、舞台は日本語かつ国内が中心になりますし、それに経済学者ではない日本経済思想史家という実体は歴史家かつ元編集者wの感性ですけども、日本語で読んだり書いたりするの大好きなんです、すんませんw。著作については専門性の高いものは10年に2〜3冊は出すように心がけたいと思っています。それと日本経済思想史研究では学術組織などは整備されています。http://www.econ.keio.ac.jp/staff/mkomuro/atoc-JET/。日本経済思想史研究というのは、最近は少し明治以降も増えてきたのですが、メインはやはり江戸時代でして、この江戸期については国際的な需要と高い評価の枠組みもあると思います。これについては僕も三浦梅園の経済論を中心にして外国の方の需要に応えるつもりです。成果の一部は僕のプロフィールを参照ください。それと中国との経済交流史研究が最近の関心ですが、本務校がサバティカルが制度としてあれば=現状ではない、と思います、ぜひ中国に行きたいと念願してます。韓流研究でもよければ韓国w