http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html
の2006/11/04 10:39:24づけのhamachanのコメント参照。
観察眼をお持ちの方は十分上記のhamachanのコメントをご覧いただいておわかりでしょうが、この「労働問題の専門家」を自称される方は、「労働問題の専門家をただひとつの理由にして「女工哀史」の例外で『富岡日記』を持ち出す史観は変じゃね?」という私の下のエントリーに対して長いわりにはたった二点をお応えしてくれたようです。
1 これの反復w http://cruel.org/other/rumors2006_2.html#item2006103101
2 「おーい、社会政策の中の人、出番ですよ」
「労働問題の専門家」とことわって『富岡日記』の山形さんの援用を批判したのに、「社会政策の専門家」に丸投げしておりますw。というと彼はなんで、おれは労働問題の専門家だ、などという発言をしたんでしょうか。専門家だ、といえば議論の相手が納得するとでも?
さてこれ書いているうちにまたまたお得意の議論の論点ずらしがでてきました*1。賢明な読者諸氏はよくよく観察いたしましょう
2006/11/04 17:18:46のhamachanのコメントの内容は
3 『女工哀史』と『富岡日記』の議論を「社会政策の専門家」に丸投げしたまま、話を『職工事情』に転換しましたw:
狙い通りの解でますた (^^;)。
『富岡日記』の山形さんの援用を批判するのに、今度は『職工事情』ですw。つきあってもいいのですが、『職工事情』は明治後半、特に日清戦争後の女工の構造的な不足、24時間操業が可能になった技術的な変化など基本的には『女工哀史』の背景と同じ、『富岡日記』のときとこーぞー的なものが違うんですよ。これもまた「社会政策の専門家」に丸投げですか? ご自分が「専門家」にこだわっているわりにはいろんな書名や人名だけの引用や学生時代の薫陶や先輩たちの話はでてきてもちっとも専門的な話がでてこないのですけど? 笑