生田 武志『ルポ最底辺』


 昨日の『ネットカフェ難民』があまりにも安易なルポなのに(それでも僕には体力・精神力ともにできないのでその点はわかった)愕然としたのに対して、本書は「釜ヶ崎」に20数年間関わり続けた著者の渾身のルポ。その迫力ある筆致には率直に感銘した。この一冊は構造問題の最も変りにくい核(本書の中心テーマにひとつは、高度成長期の負の側面=集団就労者の都市インフォーマルセクターへの滞留とでもいうべき問題、がいまだに延々と続いていることともいえる)とは何なのかを具体的にイメージする上で必読ではないだろうか。


ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)


(補遺:リフレ「派」と貧困問題)

 それと僕は本来は労働経済や社会政策の過去の人(福田徳三、高田保馬、大熊信行、住谷悦治、河上肇)たちの再評価を専門研究にしているのです(そろそろけりつけて日本以外やりたい気が最近してますが 笑)。これある著名な社会政策の権威とある会で同席したときに、「ワーキングプアみたいな問題に関心ないでしょう」というニュアンスで天下り的に誤解されて面食らいましたが、むしろいまいうところの「ワーキングプア」を含めた、経済的弱者のための経済政策をいかに理屈づけて(経済思想的な境界で)解釈していくかが僕の専門家としてのメインテーマなんすよね。まあ、日本でも何人もいない福田徳三とかの研究者がまさか横にいてリフレ汁みたいなことをいっているとはその大家には想像外だったのかもしれませんが(ナローにいえば活躍している学会違うしね)。


 例えばいまの僕の最大の関心のひとつが、生存権の経済的な基礎づけについて。だから別にこれ、ある掲示板でナンセンスな人が書いてましたが、別に「おれも貧困問題に関心あるよ〜」と秋波をどこぞに送っているわけではなく、本来の関心テーマなんですよね。それを経済思想史からやってるだけ。そういった問題への関心とリフレ政策への支持ってぜんぜん矛盾しないどころか、いまはリフレ政策の方が社会的な弱者の問題を実践的に解決するには、少なくとも僕には大事。これ僕だけではなく、ひょっとしたらリフレ派と貧困問題への関心とが二律背反するとでも? もしそういう誤解がネットで蔓延しているとするならばちょっと困る。


 リフレ派といってもここ日本では別みたいだけども(笑)、こと海外の標準的な見解であり、その意味では社会問題や労働問題や分配問題関連での立場の違いを排除しないんですけどね。いいかえると海外の標準的な見解の少なくとも一つなので、ことさらリフレ「派」というものは海外では存在しないと思います。

 
 ちなみに今日のエントリーのついでにいいますと都市部へのインフォーマルセクター滞留を経済思想史的にやった論文をそもそもの処女論文のひとつに書いてて、その概要は以下の本にある展望論文にも簡潔に紹介されてますから(論文自体は早稲田院生時代の院生紀要なので一般には入手困難かと)その若田部・池尾論文を参照ください(高いけどもw)。


Adam Smith Across Nations: Translations and Receptions of the Wealth of Nations

Adam Smith Across Nations: Translations and Receptions of the Wealth of Nations


 あとわりと田中の専門に近い話は東京河上会幹事日記の方を読んでください。かしこ。