大竹文雄・森永卓郎論争メモ書き

 旧ブログのメモをより原稿ぽく書き直したもの。

 「格差社会」の中心ともいえる若年層の所得格差拡大は、長期不況が原因だということで経済学者の意見がおおよそ一致している。だが格差社会論者の間には微妙な温度差がある。例えば大竹文雄大阪大学教授は長期不況が所得格差の悪化をもたらしたが、労働市場の構造問題がさらにこの不況の深化に決定的な役割をもっていると考えている。既得権者(既存正社員)の力が不況の下でより強まり(=リストラに抵抗する)、そのため交渉力が相対的に弱い新卒採用者の減少を生み出してしまったというわけだ。採用されなかった多くの若者はアルバイトやパートとして生活していかざるをえない。そのため大竹氏は既存正社員の既得権を削減することを主張している。

 大竹氏はタクシー業者を例に次のようにも述べている。

規制緩和がなかった場合、既存の運転手の所得は低下しなかったかもしれないが、不況で会社をリストラされた中高年がタクシー運転手として再就職することもできず、失業者になったか、より低い賃金の仕事に就いたはずだ。つまり、規制緩和がなければ所得格差はさらに大きくなっていた可能性が高い」(大竹文雄「『格差はいけない』の不毛『論座』4月号)

 森永卓郎獨協大学教授はこの大竹氏の議論を批判した(「金融資産への課税強化を」『世界』5月号)。森永氏の批判の要点は、少しくだけた調子で書けば、「不況の中で、規制緩和で失業が減少し、またタクシー業者より賃金の低い職業に就かないですむようになるなんて考えるのは難しい。タクシー業者の例でいうと、失業しないよりも働くことを選ぶ選択肢の中で最も待遇の悪い選択肢であることだってあるし、僕の見聞したところその可能性の方がよほど大きいんだよ」という趣旨だろう。私もまた森永氏と同様に格差拡大の原因が不況ならば正しい不況対策でこの問題に対処すべきだと思う。

 長期不況を解くキーはデフレが将来も続くと考える人々の期待にある。日本の長期停滞の特徴であるデフレとゼロ金利の状況を考えてみよう。例えば目にする名目利子率はゼロであっても、デフレが数%続くと予想すればそれだけ実質利子率は高くなり景気を悪くする。日本の不況がこれほど長く続いたのはこの人々のデフレ期待が容易に払拭できなかったからである(流動性の罠への直面)。そしてこの金融面の不調整が、労働市場の賃金の下方硬直性と衝突すること(既存正社員の交渉力を高めて新卒採用を制限すること)で失業を高めてしまった、というのが大まかな長期不況のシナリオである。

 以上から大竹氏の主張するような労働市場規制緩和を行っても不況対策としては的外れになる。なぜなら既得権者の既得権を緩和してもそのこと自体が不況対策としてデフレ期待を解消し、所得格差の改善に貢献することはないからである。所得格差の拡大は市場の責任ではなく、金融政策の失敗の産物なのである。