雇用問題三部作、二番目書き終え

 次回作のあとがきもほとんど書いたので一息。

 別に正式シリーズ題名じゃないけど、個人的には雇用問題を自分なりに考えてる三部作の二番目になります。

 一番目のが原論の『雇用大崩壊』、二番目のが自分なりの活動編、これが次回作。いろいろな人にアドバイスいただきました。この場所とあとがきを借りてお礼申し上げます。たぶん次回作がでてもこのブログではほとんど宣伝しないでしょう(Tyler Cowenに倣って)。来月には出ると思うので店頭でご覧いただければと。

 これから三番目。ラストのを書くつもりですが、これは自分編みたいなものです。物語はいまから65年前と秋葉原事件の日にさかのぼって始まるのですが、さてどうなることやら。

雇用大崩壊―失業率10%時代の到来 (生活人新書)

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亀井大臣のモラトリアム法案の雑談

 まあ、もう少ししたらまともなこと書くつもりだけど、その昔、大恐慌期にアービング・フィッシャーが負債をモラトリアムできれば負債デフレは起きない、と書いたことがある。彼はモラトリアムをすすめたわけではなく、そんなモラトリアムは現実には不可能であるから、リフレーションで実質負債を軽減して、負債デフレ不況から脱出するべきである、と書いた。ちょっとうろ覚えなので間違ってたらすまん。

 そういうわけで、フィッシャーもまさか本当にそんな負債のモラトリアムをまじにやる政治家が彼の没後半世紀以上たって、極東の一小国に誕生するとはw 墓場の中でも思わないだろう(あ、思えないか。

 以前、紹介した英誌『エコノミスト』のアービング・フィッシャーについての解説記事が邦訳されてるのでついでにご紹介。この記事は最後の方以外はとてもまとも。

 復活するアービング・フィッシャー:ケインズの影から抜け出すhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/614

 後半の記事独自の解釈についてはnight_in_tunisiaさんがhttp://mathdays.blog67.fc2.com/blog-entry-953.htmlできちんと注釈を加えている。

 僕がさらに書きくわえるならば、この『エコノミスト』の記事は、ここでむしろケインズの影を思い出すべきだろう。金融政策が限界にきて財政政策の出番、というのではなくて、ケインズがいったように将来の貨幣膨張政策という点で、フィッシャーの政策はさらに補強されるだろうし、そこにそれこそ財政政策へのコミットを組み合わせるべきであるということ。金融政策を中途半端に「限界」がきました、なんてかの「最後の貸し手」理論の総本山バジョットの後継者の口からでたとは思えない(笑)。

高橋誠一郎の好きな浮世絵

 高橋誠一郎の浮世絵展が公開中であることは以前お伝えしました(http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html)。そのとき、前世紀の終りに何を思ったのか、高橋誠一郎の浮世絵と経済学の関係を論文にしたと書きましたが、今日、家の掃除をしていたら偶然書類入れから発見しました。自分でいうのも恥ずかしいかぎりですが、これはいま読むと奇妙な味わいがあります(笑)。その中にいくつか図表をいれているのですが、以下は高橋が最も好きだった鈴木春信の作品「座敷八景 鏡台の秋見」という作品です。今日は暑いのですが、夕方から夜にかけては秋ぽい感じになってきました。ということでご紹介

 論文の中では高橋の浮世絵「史観」が、彼の好みがあまりにも強くでていることで、それが「私観」にすぎない、というちょっと批判的な観点も踏まえて書いたのですが、それでも高橋の春信の美人画への評価は僕も同意する部分が多く、やはり浮世絵の歴史の中で最も偉大な浮世絵師ではないか、と思っています。それに肉薄するのはやはり歌麿でしょうか。

 高橋の浮世絵論の勉強には1、2年の時間を要してしまいました。どうしてそんなことに関心をもったのかいまではまったく忘れました。浮世絵を自分で購入する資金も乏しく、また文献もなかなか集まらずに難渋しましたが、早稲田大学がかなり浮世絵の研究書(特に高橋が参照した文献)を保有していたのが大きな助けでしたね。内田実、野口米次郎、平野千恵子、溝口康麿、ゴンク―ル、クルトなどの著作をどんどん読んだものです。たぶんいまマンガとか韓流の論文でも経済学以外の話題でも書けてしまうのはこのときの地味な作業のおかげかもしれません。

 ところで高橋はフェチな感覚ももっていて、特に足が好きでした。正確には筋肉質な足です。それは春信や歌麿などよりも、写楽の描く女形の足の方が美しいと評したほどです。僕は最初、この高橋の評言を読んだときは、そのほめたたえた写楽の作品を見ていなくて、後にそれを図版ですが、みたときにちょっと驚きました。高橋のちら見感覚というかやはりフェチな感覚を知ってしまった、というか。ここから高橋の浮世絵観のユニークさにひかれて、さらにそれが彼の社会思想に対応すること、本人もそれを自覚的に説いていたことがわかってきました。

 以下が高橋の好きな写楽の絵「三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川」です。左側の女形のちらりみえる足が高橋の好きな「美しい足」なのです。より正確には衣服に隠れている筋肉質なフォルムそのもの、流れるようなしなやかなラインも含めて好きなんでしょうね。

 反対に、高橋の嫌いなものは、「肉の香」が漂ってくるような肉感的で、リアルな絵ですね。この高橋の独特な浮世絵史観には、さすがに専門家も批判した人がいます。林美一は高橋の個人の嗜好が浮世絵二百五十年の歴史を歪めて記述していると『江戸の枕絵師』の中手厳しく批判しています。逆に高橋も批判精神横溢な人であり、内田実の広重論(風景画=春画説ともいえるもの)をまたかれ独自の観点から論駁しています。ここらへんの研究者のやりとりは興味深いものでした。

効率性という車輪に少し砂を撒く

 ロナルド・ドーアが同志社で講演をするらしい。旅費の申請が下りれば聴きにいきたいと思ったりもする。一昨日のケインズ『一般理論』のエントリーで、将来における貨幣供給量の増加と将来における貨幣賃金率の上昇の組み合わせを、ケインズが推奨した、と書いたが、これをほぼそのまんま政策提言にしたのが、ドーアだろう。彼は昔からインフレ目標と所得政策の組み合わせを日本の処方箋として説いてきた。いま世界同時不況の中で彼がどんな考えをもっているのかは知らないが少し興味がある。マクロ政策の組み合わせで同種の主張をしているのが稲葉振一郎だがw。

 ただ所得政策の日本における実行となると僕は日本銀行以上にわが国の最大労働組合組織への幻滅もあるのであまり期待していない。ただ民主党の子育て手当やその他の家計へ直接所得を補償していく政策が、貨幣膨張(インフレ目標)と組み合わせになれば、ドーアの主張する政策に限りなく接近はする。まあ、こちらはこんど政府の方が後者の貨幣膨張(日銀の長期国債引き受けインフレ目標)を交渉に持ち出すことにかぎりなく消極的に思えるのが現状である。

 というわけでちょっとドーアの本を読み返そうかと思ったがぼう大な資料に埋もれて一冊もでてこない 笑。ちなみにドーアについてはいままで以下に書いてきた。ドーアへの評価はおそらく僕の周辺の知人まわりでは、僕が一番甘いだろう。まあ、ミクロ政策ベースになるとかなり分かれるのは止む無し。

いままでのドーア関連のエントリー

ロナルド・ドーア『誰のための会社にするか』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070329#p1(未完)

ロナルド・ドーア『日本型資本主義と市場主義の衝突』http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/91ba897cc37696e833520d86227b2f32

岩田規久男『そもそも株式会社とは』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070327#p1
岩田規久男『そもそも株式会社とは』(承前) http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070328#p2