内藤陽介『アウシュヴィッツの手紙』

 “フィラテリー”の知的側面を強調するものとしての「郵便学」に内藤陽介さんはずっと取り組んでいて、この20年ほど優れた業績を次々と刊行しています。内藤さんの単行本を読んでいくと、日本や世界の近現代史のバランスのとれた知見を得ることができるので、教養を身に着ける最短の学習にもなるでしょう。もちろんそのような教養の書だけではなく、内藤さんの郵便学は現代的な課題ー国家とは何か、政策とは何か、イデオロギーとはなにか、など喫緊の問題を再考する契機になります。
 本書は、ナチス強制収容所があったアウシュヴィッツという地域の記憶を特定のものとして絶対視せずに、歴史の流れの中で客観的に見ていく試みです。「筆者は、“アウシュヴィッツ”をはじめとするナチス・ドイツの蛮行を擁護するつもりは毛頭ないが、“アウシュヴィッツ”とナチス・ドイツの特殊性を強調し、彼らだけを“絶対悪”として糾弾すれば事足れりとしようとする姿勢には賛同できない」として、本書では「強制収容所」の歴史としてボーア戦争期のイギリスの「強制収容所」がナチスのそれのルーツ(少なくともナチスの当事者たちの意識ではそうだった)を解明し、さらに米国の日系人収容所やそのほかの事例との関連を、郵便学的観点から解説していきます。

 特に本書では、アウシュヴィッツ収容所のグロテスクな人間性(次々と人々を殺害、奴隷労働化をする一方で、収容所の人たちに送られてきた差し入れは官僚的律儀さで必ず届けたなど、その両義性の不気味さ)をさまざまな郵便資料で明らかにしている過程は生唾を飲み込むほどの迫真性をもっています。まさに郵便的資料を通して、ナチスのグロテスクさとその郵便政策の歪み(収容所からの郵便を通じての欺瞞的な宣伝工作など)がよくわかります。

 また近現代のポーランド史、ユダヤ人たちの第二次世界大戦前後での動向などもわかりとても勉強になります。特に戦後の切手発行事業などが、例えばポーランド政府のそのときの恣意的ででたらめな国家政策を正当化するために利用されていたこともわかり、まさに郵便学というのは切手というメディアを通しての国家権力とそれに翻弄されるさまざまな人々の状況を照らし出す、客観科学なのだということがわかると思います。

アウシュヴィッツの手紙

アウシュヴィッツの手紙