スティーブン・D・ウィリアムソン『マクロ経済学』Ⅱ応用編

 編集から頂戴しました。「新マネタリズム」を標榜する著者の現代マクロ経済学の最先端の教科書です。レベル的には付録の数式を考えると、いまの日本では学部上級のものでしょう。実は僕は本務校のやる気のある面々が集合した国際金融論の講義にこれを利用しています。本書では「国際経済」に該当する部分を利用して、あとは時論で国際金融面の最新の動きを補う、そうするといいバランスの半期の講義ができそうです。ただかなり学部生の予習が必要ですが 笑)。

 Ⅰ巻は基礎編で、しかも東日本大震災に援用できる話題、また財政政策を「恒久」的なものにするときの「省庁」設置を利用したものなど、実践的なアイディアが豊富でした。

 この応用編は、まず個人的に楽しめたのは、景気変動の市場均衡モデルと新ケインジアンモデルの長所と短所を比べた章、それと国際マクロ経済学を扱った部分ですね。

 また最適金融政策としてのフリードマンルールの扱いも非常に興味深く読みました。一応、どこの中央銀行も意図的にデフレを起こしたことはない、と本書には書いてありますが(笑)、そうともいえないサンプルが身近にあるような気がしています。

 フリードマンルールがなぜ実施されていないか。その理由を本書では、1)緩やかなインフレの厚生損失が微々たるもの、2)大恐慌期やいまの日本のような停滞を反映(=流動性トラップ)しているから、です。ちなみに後者については、ウィリアムソンは、「貨幣を印刷して移転支払を通じて貨幣供給を増やせばトラップからの脱出は可能である」と書いています。ここでいう「移転支払」の代表的な手法は、ヘリコプターマネー的なもの(社会的な給付、減税など)ですね。

 ちなみに前者の1)についてですが、硬直性を導入したモデルでは、フリードマンルールではなく、緩やかなインフレがいい、という論文も出てきています。

Monetary policy when wages are downwardly rigid: Friedman meets tobin
http://gcoe.ier.hit-u.ac.jp/JEDC2010/doc/4-1.pdf

なお日銀の白塚氏のコメントも参照のこと(日銀の思想方向がよくわかる)
http://gcoe.ier.hit-u.ac.jp/JEDC2010/doc/4-1slidesD.pdf

適菜収『日本をダメにしたB層の研究』

 「B層」とありますが、もはやオルテガの「大衆」を、さらに先鋭化した適菜さん流の「大衆」のカテゴリーとなっています。相変わらず面白く読むことができました。常見陽介さんの時論のいくつか、中川淳一郎さん、山本一郎切込隊長などのネット論などにも関係していくのではないでしょうか。

 まずB層ですが、このネーミングの由来になった広告会社の定義よりも、適菜さん自身のものがいいでしょう。

 まずオルテガの「大衆」の定義ですが、「その本質そのものから特殊な能力が要求され、それが前提にとなっているはずの知的分野においてさえ、資格のない、資格の与えようのない、また本人の資質からいって当然無資格なえせ知識人がしだいに優勢になりつつある」というものです。これだと「知識人」という枠があまりにもせまいように感じますが、適菜さんはネットの普及がこの「無資格なえせ知識人」の量を爆発的に拡大したとみるわけです。

 「そこでは、知が軽視され、無知が称揚される。バカがバカであることに恥じらいをもたず、素人が素人であることに誇りを持つ。素人が圧倒的自信を持って社会の前面に出ていく。こうした社会の主人公がB層です。B層とは、近代において発生した大衆の最終的な姿です」(59頁)。

 いまの日本の政治や文化シーンの個々の解説や評価については、僕とはかなり違うものがあるのは当然かもしれません。なぜならここで問題になっているのは明らかに一種の美学的(趣味的)なものです。その審美眼的な水準についての争いがあるのは間違いないでしょう。

 本書では、ルソー的な伝統(一般意志として大衆の名前をかりた法の破壊に至るプロセス)をきわめて否定的に論じています。この文脈の中で「人権」も否定的な扱いですが、僕はこの「人権」を法として(というよりも人権=法)ではなく、倫理として擁護する立場です。「同情」や「正義」の胡散臭さは理解していかなければいけませんが、それがそのまま倫理としての人権の否定につながることを僕は拒否します。ただ適菜さんの本書での指摘はあくまでも、法としての人権にかかわる論点が中心だと僕は理解していますが。

 本書は上記の意味でのルソー的伝統、そして民主主義的な伝統をきわめて危険なものとみなします。確かに民主主義の失敗の具体例は数多くあります。いまの日本もそうかもしれません(それが本書の主張の中心です)。ただ、民主主義の一面的なのっぺりしたものではなく、日本であっても諸外国諸地域または一組織でもその援用は、大概はその援用している集団の慣習、伝統、バイアスなどで多様な色彩をもつようです。

 僕個人は、この民主主義とそれ以外のアルファ要因が重なったものに、民主主義の可能性もあるように感じています。ここらへんは同書で上げられた多くの著作を参考にしながら(大半は読んでますが)、これからも考えていたい論点です。

日本をダメにしたB層の研究

日本をダメにしたB層の研究

内藤陽介『喜望峰 ケープタウンから見る南アフリカ』(切手紀行シリーズ)

 内藤さんから頂戴しました。どうもありがとうございます。内藤さんの切手紀行シリーズもいつの間にか五冊目。今回は南アフリカ喜望峰を中心にした郵便学の世界が展開されてます。

 まず南アフリカの歴史が、社会、政治、経済の方面から(内藤さんの著作では)毎度のことですが、実にわかりやすく整理されています。僕はたまたまアマルティア・センの本を読んでいて、マンデラの歩みに興味があったのですが、その話題ももちろん豊富。特にマンデラがロベン島に収監されていたときに、世界各国でマンデラ支援のための切手が発行されたが、マンデラの肖像が収監中一切公表されてなかったために、国ごとにバラエティに富む、という記述はへ〜と感心してしまいました。またロベン島をユネスコの“負”の世界遺産にする際に、日本が積極的に動き、これは戦前の人種差別撤廃の動きの伝統を引き継ぐものである、という示唆を内藤さんが書いたところは、深く同意しました。

 さらに本書の後半では、日本と南アフリカの関係が捕鯨など遠洋漁業の側面から丁寧に解説されています。GHQなどの戦後政策や国際的なシビアな動向が、本書ののんびりした南アフリカの風景と切手と対照をなすかのように描かれています。

 もちろん内藤さんは南アフリカでもアルコールを一杯飲んでご機嫌なはず! 本書からも明るい観光気分も十分に伝わる、喜望峰への必携の一冊ですね。もちろん当分行く予定のない僕も旅行気分です。豆知識やうんちくを語れるのもこの切手紀行シリーズのいいところですね。

喜望峰―ケープタウンから見る南アフリカ (切手紀行シリーズ)

喜望峰―ケープタウンから見る南アフリカ (切手紀行シリーズ)

田中秀臣×麻木久仁子×勝間和代 緊急座談会「危機に立つ日本は復活できるのか?」(11/06(火) 開場:19:57 開演:20:00)

 考えてみたら勝間さんとは初めての座談でした。さらに麻木さんと勝間さんとの組み合わせも見たことない。ましてやそのふたりに挟まれた僕にいたっては、どんな風に話が進行するのでしょうかw なんとなくしかわかりませんw

 テーマは世界経済情勢と日本の政治や経済の対応、そして個人としてどうこの事態に対処すべきかが論点でしょうか?

 お楽しみに!

ニコニコはこちら

http://live.nicovideo.jp/watch/lv113766555

ディヴィド・オレル(望月衛訳)『経済学とおともだちになろう』

 経済学をかなりシニカルにそして相対的にみているオレルの構想した経済思想史です。古代社会から現代まで、いまの正統派経済学(本書では新古典派的な流れ)もひとつの経済観としてみなし、学派の競合を綺麗に整理して、代替的な学説もかなり万遍なくフォローしています。そもそもアダム・スミス以前の「経済学」はかなり多層的であり、潤沢な知性の宝庫なのです。本書もスミス登場までなんと紙数の三分の一近くを割いているところが新しく、またさきほど指摘したオレルの相対主義的な姿勢が鮮明といえるでしょう。

 取り上げられている経済事件や経済思想家(経済学者とは括れません)はぼくからみるとなかなか凝った選択だといえるでしょう。もちろんこれ一冊で経済学のすべてはわかりませんが、楽しい副読本としては手元においておき、暇な時間に読まれることをすすめます。しかしコペルニクスの経済観が出たときはやられた、と思いました(笑。

経済学とおともだちになろう

経済学とおともだちになろう