最近、自分の学的な背景を回顧するのではなく、専門研究をしている延長で気が付くことがあった。もともと学者になろうと思ったのは、大学二年生の時で、その時に福原嘉一郎先生の教養ゼミに入った。これは早稲田大学のとてもいい制度だと個人的には思っている。福原先生は旧制高校の最後の世代で、その伝統を自覚的に継承していた。ゼミナールは、単に知識を得る場ではなく、まさに人格的な陶冶を生み出す場だということが、福原先生が言うまでもなく(実際には本当になにかお説教的なことはいわない人だった)自然とゼミの雰囲気になっていた。本当の教養の場だったといえる。それにはさまざまな自由な雰囲気がなければならなかった。もちろん旧制高校はリベラルアーツとして位置づけられていたことの伝統を、なんらか福原ゼミで得ることができたのだと思う。この影響は自分の人生を考える中でも決定的だった。
三年生になって専門ゼミを選ぶ際にも、この福原ゼミで得たことが決め手になった。二年生の時に、山川義雄先生の経済学史の講義をきいていて、とても面白いと感じた。当時の講義は本当にいまから考えるとある意味で贅沢で、ほぼ一年かけてフランスの重商主義、重農主義をやっていた。スミスはやった記憶があまりない(笑。もちろんスミスもリカードウもやることはやったが、そこどまりだった。ここで学んだのは、経済学史はいろんなことができるということだ。理論、政策、歴史、そして思想など多彩な切り口が「経済学」という視点から得ることができる*1。「経済学」自体も実に多様な在り方であり、時代とともに変化する。いま言葉にするともっともらしいが、当時の考えはもっと単純で、一言でいえば「(僕はひとつのことに熱中するよりも)あれもこれもいろんなことができる」から経済学史を選んだのである。
経済学史のゼミは上原一男先生だった。山川先生は定年を迎えるのでゼミの募集はなかった。上原先生の学部講義を一切うけることなく、僕は経済学史をやりたいという理由(上のようによく言って教養主義的な志向、率直にいえば単純な理由)で選んだことになる。
上原先生については、同じゼミ(学部は上で、大学院では僕が出戻りなので彼が上)だった若田部昌澄さんの追悼コメントとまた彼の別なインタビューを参照にされたい。経済学史については、僕の予想以上に面白い世界だった。それは福原ゼミで学んだリベラルアーツ的なものを基盤にして、それよりもさらに深く広い世界を目指せるものに思えた。最近、すぐれた経済学史研究者の H.Trautweinが「多面的知識を有する最後の人たち」と経済学史研究者のことを形容したが、これはまさに教養=リベラルアーツの伝統をひきつぐ人たちだということだろう。もちろんそれが「最後」、つまりは絶滅危惧種であることもこの言葉は意味しているが。
さて時間は一気に飛んで、社会人⇒社会的はぐれメタル⇒大学院という過程で戻り、ここでも上原先生の下で経済学史を学んだが、他方で自分の人生で大きな転機となったのは、藪下史郎先生との出会いである。藪下先生は、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ先生の愛弟子であった。藪下先生もそうだが、やはりリベラルアーツ的な傾向を感じる。それはやはりスティグリッツが米国屈指のリベラルアーツ系の大学であるアマースト大学出身であり、その伝統を本人も大切に継承しているからだろう。藪下先生もスティグリッツ先生もそうだが、実践的な経済政策に対する関心のベースには、経済と制度との関連を重視する姿勢がある。ここでの「制度」はもちろん歴史の文脈の中で誕生し(専門的にいえば経路依存的)たものであり、さらに経済的制度だけでは終わらない。経済、政治、法律、慣習、そして文化など多様な知識と経験と人類の感情の蓄積でもある。要するに経済と制度の関連でみるということは、多面的な知識を錬磨していく教養が必要だということだ。
藪下先生がスティグリッツ先生の業績をコンパクトに解説した本があるのでそこから、スティグリッツ先生がアマースト大学でうけた教育の特徴を紹介しよう。
「アマースト大学での教育はスティグリッツの経済学に大きな影響を及ぼしている。アマーストでの3年間でスティグリッツは物理、国語、経済学、歴史、数学など、典型的な一般教養コースを履修しているが、アマーストでの教育では次のことが強調され実践されてきた。すなわち、物事の本質を正しく問いかけ把握することの重要性、他の人の主張を無批判に受け入れるのではなく疑ってかかること、それらをさまざまな見方から考え、異なった角度からの主張を行うことの重要性、また少々疑念があったとしても一定の作業仮説の下に考察を進めること、などである。さらにこれらの重要性に加えて、物事を考察するときには分析の厳密性、洞察力が重要であることが教えられた。さらに教育方法としても、講義方式ではなく対話形式のものが多く、ともに議論し考えるという方法がとられた」(藪下 史郎.『スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない 』東洋経済新報社)。
このスティグリッツ先生が、アマースト大学でうけた教育の在り方は、僕自身で振り返れば、福原ゼミ(と当時の早稲田大学政治経済学部の教養課程)で得たものとほぼ同じものだ。リベラルアーツの精髄といえるだろう。上原ゼミでは、大学院ではこの伝統に近いものを得ることができたが、それは上原先生や若田部昌澄さんらの存在がやはり大きい。いずれにせよ、リベラルアーツ的なものがなんらか自分の中でもっともしっくりいく大学の在り方だった。
このリベラルアーツ型の教育は現代の日本の実務型中心の大学教育ではまさに絶滅危惧種である。その話は別にしたいと思うが、ここで書いておきたいのは、僕が専門研究としてやっている住谷悦治、福田徳三らはまさにこのリベラルアーツの伝統にある人達だということに最近あらためて気が付いた。住谷はもちろん旧制高校出身であるだけでなく、またアマースト大学で学んだ新島襄の同志社の元総長でもあり、また叔父の住谷天来の盟友でもあった同じくアマースト大学出身の内村鑑三にも大きな影響をうけていた。住谷の蔵書を集成した住谷文庫はまさに教養主義の典型の産物でもある。さらに福田徳三は、いままさに研究しているところだが、やはりリベラルアーツの伝統を継承している。これは彼の日本における商科大学運動のあり方を大きく規定してもいる。僕が長くこのふたりの経済学者に特にひかれるのは、このリベラルアーツ的な伝統にある人達だからといえるのではないか、そう考えるとまさにいまさら、そうなんだな、と自分なりに得心がいっている。ただそれだけのエントリーである(笑。