論説「クールジャパンの闇と緊縮政策の闇を破れ」in SankeiBiz

SankeiBizさんの終了に伴って最後の寄稿です。

田中秀臣の超経済学」と題して、2016年3月に産経デジタルによるiRONNAで開始し、それからSankeiBizに掲載を移してから今回まで総計271回続いた連載も、SankeiBizが休止することで今回が最後になってしまった。残念であるが、そもそも無限に続く連載などどこにもないのだから仕方がない。IRONNAからまたSankeiBizまであしかけ7年もの間、愛読していただいた読者の方々、担当いただいた編集の方にはこの場を借りて感謝します。

 

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クールジャパン機構といわれる官民ファンドがある。正式名称は、海外需要開拓支援機構だ。「官民ファンド」とは、政府と民間企業などが共同で出資し、公的な色彩の強い事業を行うものである。最近では、リーマンショック以後の経済危機など経済対策の一環として設立されることが多い。クールジャパン機構は、安倍政権下の2013年に設立され、約8000億円の出資金の大半は政府によって行われている。その他に民間金融機関、広告代理店など大企業が出資者に連なっている。

このクールジャパン機構、そしてクールジャパン戦略そのものが現在、かなり厳しい批判をうけている。

そもそも「クールジャパン」という標語は、直訳すれば、「かっこいい日本」だ。クールジャパンは、海外に日本文化の素晴らしさを売り込む日本の国際戦略に与えられた名称として有名だ。内閣府のホームページにある紹介文によると、「「食」、「アニメ」、「ポップカルチャー」などに限らず」対象を拡大し、「日本のブランド力を高めるとともに、日本への愛情を有する外国人(日本ファン)を増やすことで、日本のソフトパワーを強化する」というものだ。

クールジャパン戦略のキーになるのが、この政府の解説にも登場する「ソフトパワー」というものだ。もともと米国の政治学ジョセフ・ナイが21世紀初めに広めた考え方だ。ソフトパワーとは、軍事力や経済力など目にみえる「ハードパワー」に対抗する概念で、自国の文化に対する外国人の共感や支持を得ることを通じて、国際的な地位の向上をはかる狙いを持っている。もともとナイは、米国を念頭にしてこのソフトパワーを考案していて、要するにかなり強力な米国の軍事力・経済力を背景にして、米国の価値観を他国に一方的に押し売りをするというきな臭い考え方でもあった。特にこのソフトパワーが米国で持て囃された時は、9.11などの対米テロが過激化し、イスラム圏へ民主主義などの米国的価値観を押し売りする必要性もあった。イスラム圏の国々も欧米のように民主化すれば、テロの脅威が沈静化するという当時の米国政府の狙いと、ソフトパワー論は近い関係にあった。

ところが日本にこのソフトパワー論が輸入されると、軍事力(防衛力)や経済力との関係や、また対テロ的な要素は希薄になる。単に海外からの観光客獲得のための景気対策の側面が色濃くでたものになる。ただ本当にクールジャパン戦略が、海外の観光客や、あるいは日本文化の理解を促進することになるならまだよかったのだが、実際はかなり異なる展開になった。

例えばインバウンド需要の大半は、アベノミクス以降の円安傾向の定着が大きく貢献しているだろう。2012年には訪日外国人旅行者数は836万人だったのが、コロナ禍前の19年には3188万人まで3.8倍に大きく拡大した。その期間中の為替レートの推移を、対ドルでみると民主党政権下は70円台後半であった。それが19年には平均すると109円台の円安水準で推移した。対ドルだけでなく主要通貨でみても円安傾向にあり、これがインバウンド需要の急増を生み出したことは明白だろう。訪日外国人旅行客の3割を占めていた中国からの旅行客もまたドルと緩やかに中国通貨の元の価値が連動していたので、やはり円安の恩恵をうけていたのと、他のアジア圏からの外国人同様に航空運賃が割安になったこと、ビザの取得が容易になったことも激増の背景にあっただろう。もちろん日本への関心が高いことはいえるが、だがそこにクールジャパン戦略がどう貢献したのか、まったくわからない。

ところでクールジャパン機構の役割はまさにクールジャパン戦略そのものである。ただし先に述べたように、日本政府が防衛力や経済力と連動させて積極的に文化戦略を展開するというものではない。出資金の規模はでかいわりには、日本国内でも海外でもその活動を知る人は少ない。クールジャパン機構は一応、海外での新規企業に投資して、そこで日本への関心を誘発する事業を支援し、日本国内への観光客増(インバウンド効果)や、また日本の観光客が海外にでていく契機(アウトバウンド効果)を作ることを目指している。

 

例えば、ベトナム日本食材の流通基盤を構築するとされる現地法人に対してクールジャパン機構は出資を決めている。またマレーシアなどアジア各国で日本文化を宣伝する展示を企画している。だが、これらがどう日本への経済刺激や文化理解に貢献しているかはまったくわからない。

 

クールジャパン機構は「国民の損がでない仕組み」であると喧伝されていた。クールジャパン機構自体は一定の年限で活動を中止し、その段階で清算することが義務づけられている。具体的には、2033年が機構の設立年限となる。なので、政府が出資してもその中止段階で、少なくとも損がでないように会計操作が行われる予定だ。しかし予定はあくまで予定で、そうならない可能性もある。不当に累積赤字を放置してしまえば、まさに国民の税金は消える。官民ファンドが不適切な経営や累積赤字で損失を重ねないように、財務省の諮問委員会が勧告を出すことになってはいる。

しかしクールジャパン機構は現在、かなりの赤字をすでに生み出している。監督官庁である財務省は、同機構がこれ以上赤字を累積するようであれば廃止を勧告している。2021年3月末で、累積損益が309億円の赤字であった。前年同期が231億円の赤字だったので拡大を続けていることになる。

問題はその中身である。事業での損失もかなりあるが、累積赤字の大部分がクールジャパン機構の高い運営費にある。職員1人当たり平均1325万円の年収、また同機構がオフィスを借りている六本木ヒルズ森タワーの家賃が、赤字を生み出す主原因である。まさにバカげた出費で、税金を無駄に浪費していることになる。

いったいわざわざ高額の家賃を払ってまで、都内の超一等地にオフィスをもつ必要がどこまであるのだろうか。また事業の成果と必ずしも連動しているように思えない高額の給与も妥当だろうか。

従来、官民ファンドは、官僚の天下りや、また非効率的な事業を展開して税金を浪費しかねない、と批判されてきた。そもそも海外観光客のインバウンド消費が、コロナ禍前に急増していたのは、クールジャパン戦略が効果をあげていたからではない。金融緩和の継続で、円安が続き、要するに海外から相対的に安い旅費ですごせる国として定着したからであろう。クールジャパン戦略も機構もほとんど価値をもっていないのは、自明だ。

このクールジャパン機構のムダな出費をみていて思い出すことがある。実は私は、大学を出て、いったん出版社で編集者を何年かしていた。その後に大学院に戻り、そこから大学教員になった。その出版社勤務の時代、1980年代後半に、都心に近いオフィスビルに原稿をもらいにいったことがある。ある特殊法人(税金で維持された政府関連機関)のトップに原稿を書いてもらったのだ。そのビルにいって驚いたのは、最新のオフィスをワンフロアぶち抜きで使っていて、入り口に女性秘書がひとり待機していて、あとは室内の奥まで赤いカーペットが敷き詰められていた。その遠いどんづまりに高価な応接セットとどでかい机に座ったその元官僚の温厚そうな老人がいただけだった。クールジャパンもこれに似た、官僚たちの国民の資産をむさぼる行為だろう。

あえて言えば、このようなクールジャパン戦略でのムダよりも、より深刻なムダがある。それは日本経済の潜在能力を活かしきれていないムダである。日本経済は20兆円ほど、その潜在能力を活かすためにはお金が不足している。これを動かすことができるのは政府の政策だ。

が、ここでも官僚たちは国民のムダを増殖させている。財務省の緊縮政策は厳しく、いまの岸田政権はこの財務省の手の中で動いているようにしか思えない。日本の生活向上には、政府が率先して、大胆に財政政策。金融政策を稼働させることが重要だ。そのための具体的な政策は、この連載でも何度も指摘してきたところである。官僚に責任を押し付けているのではない。実際にはそのような危機の中で緊縮財政をもとめる財務省のような組織を延命させている、政治の問題である。この参院選の最中でそのことを強く思う次第である。