論説「「スタグフレーションが来る」報道の違和感 エネルギー価格の消費減税も選択肢に」inSankei Biz

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スタグフレーション」という言葉を目にすることがあるだろうか? これは停滞(スタグネーション)とインフレ(インフレーション)を組み合わせた言葉だ。高いインフレと高い失業率が共存する現象を意味する。

欧米を中心として1970年代初めの第一次石油ショック後に、スタグフレーションが話題になった。最近では、ウクライナ戦争やコロナ禍でのエネルギー不足と世界経済の不安定化を背景にして、再びスタグフレーションが注目を浴びている。日本でもガソリン、電気・ガス代、さまざまな食品の値上げと、他方でコロナ禍から十分に回復していない国内経済を合わせて、スタグフレーションの出現を喧伝する人達も多い。

 

ウクライナ戦争は現段階では長期に及ぶ悲惨なものになる可能性が大きい。もちろん戦争ほど不確実性の大きいものはないので、あくまで長期になるというのは現段階での見方だ。ロシアへの経済制裁は、当初の金融制裁から次第に石油の禁輸から、徐々にロシア資源経済の中核である天然ガスをめぐる制裁が焦点になってきている。

他方で、フィンランドスウェーデン北大西洋条約機構NATO)に加盟することで、新たにロシアとの緊張が高まり、ロシアはフィンランドへの天然ガスの供与を停止した。このような西側社会とロシアとの制裁合戦もまた長期間に及ぶことだろう。

日本ではスタグフレーションのうち、最近はインフレに注目するマスコミの報道が多い。欧米と一緒に報じられることも頻繁になった。しかし米国、欧州(特にEU)、日本とはかなりインフレをめぐる状況が異なる。

 

日本のインフレはふたつの特徴を持っている。1)エネルギー価格の高騰、2)経済の“実体”の弱さだ。最新の消費者物価指数(2022年4月)では、すべてこみこみの総合は、対前年比で2.5%のプラス。これだけ見ると前月の1.2%から大幅にジャンプしているが、もちろんその認識は正しくはない。特殊要因だった携帯料金の値下げ分が統計処理上、剥落しただけだ。言い換えると、いままでもこの特殊要因を意識して物価の変動を見ていなければならないだけで、今回のジャンプで「インフレが急激に悪化した」とするなら相当に誤解を招く表現だろう。

 

前月までは携帯料金の引き下げ効果(=寄与度)が、1.42ポイントほどあった。それが今回の引き下げ効果は0.38ポイントだ。他方で、エネルギー価格の物価引き上げへの寄与度は、1.38ポイントにもなる。実際にこのエネルギー価格の上昇が、物価上昇の本当の“主犯”である。生鮮食品を除く総合では、まだ対前年同月比で2.1%の上昇、だが、生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数では、対前年比が0.8%まで低下する。

エネルギー価格自体は、対前年比で19.1%(寄与度1.38)上昇しているが、もう少し中身を具体的に見ておこう。エネルギーの各項目別では、電気代(対前年比21.0%、寄与度0.69)、都市ガス代(同23.7%、 0.21)、プロパンガス(同7.9% 0.05)、灯油(同26.1% 0.11)、そしてしばしば話題になるガソリン(同15.7% 0.32)だ。ガソリンのインフレへの寄与度も大きいが、電気代、ガス代の負担増も相当なものだろう。生鮮食料品の値上げも目立つが、なによりもエネルギー価格の高騰こそが日本のインフレの主因である。

 

なお先月の物価指数では注目された牛丼の値上げについては、今月は落ち着いている。先月では、森永卓郎教授(獨協大学経済学部)が「吉野家の牛丼が高ければ親子丼を食べればいい」という提案をしていた。ご子息の経済アナリスト森永康平氏文化放送「おはよう寺ちゃん」での発言によれば、卓郎教授は、株の優待券で親子丼を食べている可能性があり、それで誤認識をしているという。なぜなら吉野家では親子丼(並盛)の方が牛丼(並盛)よりも高いからだ。これを「森永卓郎マリーアントワネット問題」と呼称される。閑話休題

 

日本のインフレの主因がエネルギー価格であるならば、そのインフレへの影響をどうとらえるかが焦点になる。つまり、もともと海外から供給制約(世界経済回復でも石油増産の困難、ウクライナ戦争などの要因)によって高い買い物をしているからである。マスコミの一部が喧伝している「悪い円安」によるエネルギーの輸入価格への影響は、せいぜい10のうち1ほどである。しかも最近の好決算でもわかるように、日本企業の多くが円安によって恩恵をうけている。また最近では、円安傾向にも一服の傾向があり、極端な変動はみられない。

 

この状況の中で、エネルギー価格の高騰が今後も持続するかどうかは、ウクライナ戦争要因(こちらはエネルギー価格高騰に寄与)や中国のゼロコロナ政策による世界経済への悪影響(こちらはエネルギー価格低下に寄与)など不確実性が高い問題にかかわる。だが、通常の経済的な知識によれば、エネルギー価格の一時的な高騰は次第に経済の中で減衰していくというのが常識だ。

ただし、もし1年以上持続的にエネルギー価格の高騰が続くとしたらどうなるか。政府には積極的な財政出動と金融緩和の維持のポリシーミックスが“いま以上に“要求されるだろう。“いま以上に”というのは、今でも積極的な財政出動と金融緩和の維持が必要だからだ。

日本経済の実態は、インフレ目標実現にまだ遠いと考えるべきだ。国内総生産GDP)速報でもマイナス成長であり、デフレギャップも簡単な試算では年率換算で20兆円近く存在している。失業率も安倍政権下で実現した2.2%よりも2.6%と高いままだ。一時的な要因で、生鮮食品を除く物価指数で、対前年同月比で2.1%の上昇であっても経済は脆弱なままである。

 

金融緩和をやめれば雇用は悪化してしまうだろう。また財政政策では、消費税減税が望ましい。政策効果は極めて減少するが、エネルギー価格だけ個別に消費税を引き下げることも選択肢としてはあるだろう。脱炭素化社会を目指す中で、エネルギー価格を引き下げるのはおかしい、という経済産業省あたりの意見もある。まるで庶民の生活苦を考えない経済貴族的な発想である。脱炭素を強調するのであれば、今般のエネルギーのひっ迫を考えるならば、原発の再稼働推し進めることが効果的だろう。

だが、内閣支持率が極めて高い中で、政治的な冒険をおかすことは岸田首相の選択肢にはないようだ。積極的な財政政策で財務省を怒らすようなリスクはとりたくない、原発再稼働で政治的なリスクをとりたくない、というゼロリスク政策が岸田首相の基本スタンスだろう。参院選まではこのゼロリスク政策をとり、選挙で勝利すれば、その後は増税などの負担増政策と金融緩和の終了を目指すのではないか。その緊縮政策への転換がいまの日本経済に大打撃を与えるのは自明である。

 

他方で、日本経済にも大きな影響を与える米国経済についても簡単に見ておこう。

米国は現時点で8.5%に達する戦後でもまれに高いインフレを経験している。そのため中央銀行である連邦準備制度理事会FRB)は、金融引き締め政策に乗り出している。このことを反映して、1930年代の大恐慌以来となる数週間連続の株価下落にも見舞われた。

ところで米国のインフレにはどのような要因が関係しているだろうか? もちろんエネルギー(石油、天然ガスなど)の価格高騰も大きく寄与しているが、それだけではない。経済の主要部門が米国のインフレに大きく貢献している。例えば、コロナ禍の中で大胆な金融緩和政策を続けたために、株式市場やさまざまなリスク性の資産取引が活発化した。

 

その恩恵をうけた人達が、不動産の購入に向かい、それが住宅価格の高騰を招いた。またコロナ禍から本格的に脱したことで、国内の航空機の利用や観光・ビジネスでの宿泊サービスの価格も上昇した。さらにコロナ禍で、職を追われる人達に対応するために、米国政府は手厚い失業保険を提供した。この失業保険が、「大離職」といわれる現象を招いてしまった。

「大離職」は、本当に高齢者がそのまま退職したケースも多いが、むしろ構造的な「摩擦的失業」を高めた。摩擦的失業とは、自分の能力に見合った待遇を得るために、新しい職が見つかるまで失業状態で過ごすことである。失業保険が拡充されたことで、この構造的な摩擦的失業が高まり、米国経済の持ち味ともいえる雇用の流動性が大きく損なわれた。

雇用の流動性とは、労働者が柔軟に職場を変わることができる度合いを示す。摩擦的失業など構造的な失業の割合が低かったり、あるいは景気が良かったりしたときの雇用の流動性は大きい。米国は不景気になるとリストラを大胆にして、それで企業のコストを切り下げる。その反対で景気が良くなると雇用が増加しやすい。

 

ところが今回は、「大離職」は、コロナ禍が終息に向かう中で、労働者不足を招いてしまった。労働者不足が、賃金の上昇を招き、それが物価の上昇を生み出した。なぜなら賃金は、財やサービスの経費であり、経費の上昇を販売価格に企業は転嫁するからである。

特に労働市場がひっ迫しているのをみている「摩擦的失業」中の人達は、もっと高い賃金が得られるのではないかと「予想」する。つまりもっと慎重に職探しすれば、より高い賃金を得られるだろうと、早期の就職に慎重になるのだ。

賃金の上昇予想は、このように現時点の「大離職」を強めることで、人出不足をさらに高めてしまう。つまり賃金上昇の予測が、現実の賃金上昇と物価の上昇を生み出すのである。ここに「予想」がキーになることがわかる。

FRBが金融引き締めに乗り出したのは、この賃金と物価のスパイラル的状況が高まったことにあるだろう。ただし賃金予想が反映している(5年先ぐらいの)物価予想をみると、まだ3%台前半である。実際のインフレ率が8.5%なのでかなりの開きがある。これはなぜか? それは物価上昇を短期的な現象としてとらえている人が多く、長期的には現状よりも落ち着く傾向にあると予想しているからだ。いまの世界の中央銀行、もちろんFRBもまたこの「物価の予想」を中心にして、金融政策のスタンスを決めている。

 

FRBのパウエル議長や、政府側のイエレン財務長官らは、金融引き締めは、米国経済を極端に減速させることなく、インフレを終息できるだろう、と自信を表明している。その自信の裏側には、このまだ低いインフレ予想があることは間違いない。だが、それは楽観しすぎるという意見も根強い。

例えば、元FRB議長のバーナンキ氏は、最近の講演の中で、「FRBの金融引き締めは遅すぎた。インフレ抑制に手こずり、米国経済は失業率の上昇など経済減速の可能性が大きい。このことをスタグフレーションと呼ぶことも可能だ」と手厳しい評価を与えている。実際にFRBと米国政府の楽観シナリオ通りになるか、それともバーナンキ氏らの悲観シナリオが妥当するかどうか、米国経済の世界経済に占める重要な位置からいっても今後も要注目だろう。

 

対して、欧州や日本はどうだろうか。インフレ率でみると、EUは5%台であり、他方で日本は2.5%である。両者にはインフレの度合いではかなりの差があるが、共通点もある。それは米国とは違って、欧州も日本も賃金上昇の予想も低いことだ。つまり中長期的な物価予想も低い。そのため欧州でも日本でも拙速な金融引き締めを批判する経済学者やエコノミストが少なからずいる。むしろ金融緩和を継続し、他方で研究開発やインフラ投資、教育、デジタル革命、環境投資をより一層はかるべきだ、という主張も多い。

 

先ほど指摘したように、日本の場合は、電気代・ガス代・ガソリン代などのかかる消費税を減税することが、極めて効果的だ。なぜなら現在の物価上昇の大部分がこれらのエネルギー関係のものだからだ。原発再稼働も当たり前だが最善の手番だ。いまこそ岸田政権は政治的リスクをとり、国民のための経済政策をするべきなのだ。それが高い内閣支持率に応える正しい道だろう。