小論「三浦春馬と『僕のいた時間』」by田中秀臣

 以下は二年前に雑誌『シナプス』の創刊号に寄稿した三浦春馬主演『僕のいた時間』についての簡単な感想です。twitterなどで検索がいまだにあるようなので、こちらに生原稿を掲載します(実際に掲載されたのと若干違います)。

『僕のいた時間』と“本当の気持ち”
田中秀臣上武大学ビジネス情報学部教授)

 三浦春馬多部未華子主演の『僕のいた時間』は真に意欲的なドラマだ。社会的な注目を集めた『明日、ママがいない』と放送時間が重なり、視聴率的には振るわなかった。しかし『僕のいた時間』は、テレビドラマの枠の中で、稀有なほど深い思想的な問いを投げかけている。その“問い”とは、「自分の本当の気持ちは何であり、それを他人に伝えることができたとき世界はどう変化するのか」というものだ。

 三浦春馬は、筋委縮性側索硬化症(通称ALS)に侵されている若者を演じた。ALSは、運動神経だけが選択的に病に侵され、発症から呼吸器麻痺までわずかな期間で進行してしまう。ドラマでも発症後まもなく主人公は車いす生活を余儀なくされた。そして人工呼吸器や経管栄養をとらなければ確実に死に至ってしまう。

 三浦本人がドラマ化を希望しただけあり、彼の演技は迫真性があり、実際にALSの患者やその家族たちにも熱心なファンが多い。恋人役の多部との演技も、過去の共演作『君に届け』よりも数段と質の高いものになっている。
時間の経過とともに、次第に肉体的自由を奪われ、外界に自分の意思を伝えることが困難になっていく。しかし肉体的不自由に反比例するかのように、主人公は自分の本当の気持ちを外界に伝える努力をみせるようになる。それによって恋人や家族、職場など、彼を取り巻く環境が次第に変化していく様が静かに、しかし力強く描かれている。素晴らしい作品だ。