だいぶ前にTwitterで栗原裕一郎さんに教えてもらった小泉今日子論(「小泉今日子の時代」の終焉)が収録されている。同書はいまから13年前に宮崎さんと初めてお会いするための予習を兼ねて購入して読んだ。そのときはアイドルに興味がまったくなかったので軽く読み流していた。今回は久しぶりに同エッセイを中心に読んだが、80年代の文化を振り返る際にはとても参考になる視座を与えてくれる。
エッセイ自体は94年に書かれていて、まだ日本が「失われた20年」に突入するとはだれも当時は理解していなかった。小泉論を読んでみると、80年代のニューアカブームや新人類ブームでの思想的残骸が、オウム真理教事件(同エッセイの書かれた時代)から一気に3.11以後にワープすることで、いまでも生きながらえていることがわかる。
というか日本が文化的な意味でも「進歩」が止まっているのではないか? とさえ思えてくる。80年代の論壇の人気者たち、中沢新一、浅田彰、いとうせいこうらへの宮崎さんの視線は厳しいが、彼らはオウム、そして3.11以後の危機的な状況の中で、ほぼ80年代そのままの感性と言説で生きながらえている(正直、それを支えるファン層の鈍感さにも驚くしかない)。
小泉今日子論は、80年代前半の価値観の相対化ともいえる状況、「文化の仕掛け人」的な胡散臭い人たちの生態などを絡めながら、小泉今日子の当時の受容のされ方を活写した名エッセイだ。小泉は、21世紀の現在、『あまちゃん』での女優としての熟成(そしてアイドル的要素を隠し味として)した。またエッセイスト&読書家としても人気だ。宮崎さんのエッセイでは潜在的に示されていた彼女の可能性が20年後の今日全面展開している。小泉今日子の時代はとっくに終わって、時代は彼女の「娘」の能年玲奈の時代になったのだが、いい感じで滅びて行こうとしている。
しかし小泉今日子論はありそうでまったくない。本エッセイはその意味でも貴重な貢献。さらに『正義の見方』でのオウム関係を中心にした論説や座談などほぼすべてが古びていない。再刊した方がいいのではないだろうか。
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小泉今日子のエッセイのニヒリズム(TOKYO FM東京秘密書店より)http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20131019#p1
「春子の亡霊と1980年代のあやまちーあまちゃんの経済学」in『あまちゃんメモリーズ』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20131030#p1
- 作者: 宮崎哲弥
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2001/03
- メディア: 文庫
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