聴くことと聞くこと

 岡倉天心の『茶の本』に伯牙の琴馴らし、という逸話がある。
 地下に眠る龍の身体にさえその根をまきつけた巨大な桐の木があった。そこから仙人が琴を切り出す。皇帝がこの琴をやがて秘蔵する。この琴をならそうと名人たちが皇帝の前で挑戦したが、琴は耳障りな音を出すのみ。やがて伯牙がやってきてこの琴に挑戦する。彼は琴を愛撫しそっと絃にふれ、四季の歌、山水の歌を歌う。それに呼応して琴は自らの中から、この琴が目にしてきた自然の移ろい、人々の歴史、そして自ら感じた多様な歓喜を伝え始める。恍惚とした皇帝は伯牙に尋ねる。「どこに成功の秘訣があったのか」と。伯牙は答える。「他の人たちが失敗したのは、自分自身のことばかり歌ったからです。私は琴にみずからの主題を選ばせました。そして琴が伯牙だったのか、伯牙が琴であるか、ほんとうはわかりませんでした」(『茶の本桶谷秀昭訳)。

  岡倉天心はこの逸話から、「真の芸術とは伯牙であり、われわれは竜門の琴である」と告げる。本物の芸術とは、われわれの心の中に眠っている様々な感情を自然と喚起するものである、と。作品とその鑑賞者との共感こそ「「真の芸術」を生み出すものであると。芸術家はわたしたちの心に語りかけ、そこから伝言をうけとる存在にすぎない。われわれが作品に感銘しているのは、それはわれわれのこころ深く隠されたものを聴き、凝視できたからにほかならない。共感する世界において、芸術(家)とわれわれは表裏一体の至高存在だ。

 岡倉天心の『茶の本』の伯牙の琴馴らしを、著名な西洋経済史研究者、大塚久雄はかってゼミの冒頭で紹介した。そして大塚は、研究者は伯牙のような態度で、竜門の琴(歴史的資料)を演奏=研究しなければならない、と述べた。いたずらに自らの解釈をおしつけるのではなく、資料に自ら語らせるのだ、と。

 この岡倉天心の『茶の本』の逸話、そして大塚久雄の研究への援用を知ったのは、内田義彦の「聞と聴」(『生きること学ぶこと』藤原書店)を読んだことがきっかけだった。岡倉の本はずいぶん昔に読んだことがあった。つまり内田のエッセイを通じて、岡倉の本と再会した。内田義彦は「聞くこと」「聴くこと」についてとても深い考察を展開した。それは彼がすぐれた音楽の聞き手(聴き手)だったからかもしれない(田中秀臣「内田義彦の音楽論』『内田義彦の世界』藤原書店参照)。

 内田自身は、岡倉や大塚の話をさらに変転してみせる。内田は「五感の経済学者」とでもいうべき学者だった。身体を経済という知の中に埋め込むこと、その契機として、「曇った眼、澄んだ眼」、「聞と聴」などの身体論的問いが放たれた。山田鋭夫(経済学者)が指摘したように、内田には「学ぶこと」は「生きること」だった。まず内田は、「聞く」と「聴く」の違いとは何か、と問う。それを江戸時代の学者荻生徂徠の『訳文筌蹄(やくぶんせんてい)』から引用する。徂徠によれば、「聴」とはきこうと思ってきく態度であるという。対して「聞」とは耳にきこえてくる態度である。視聴と見聞。徂徠の区別だと、「聞く」は正確にきくことではなく受動的であるにすぎず、「聴く」の方が集中してより正確にきくことに繋がると思われてしまう。実際に、徂徠は「聴」の字は公の行事に用いるべき言葉であると注釈さえしている。

 徂徠の解釈はまた今日の通用にも近い。この徂徠の見解=通用に対して、内田は否定的だ。「聴」という動きは、竜門の琴を無理やりひこうとした名人たちに似ている。聴くという行為は、聴きどころ=チェックポイントをおいて、そこから分析的に自らの中に取り込もうとする。多くの人は、このチェックポイントが的外れな可能性を考慮していない。またチェックポイントを置くこと自体が目的化してしまうことが多々ある。あたかも竜門の琴をならそうと、自分のことしか考えなかった名人たちに似て。もちろん漫然とではなく「聴く」ことは重要だ。しかし、「聴く」こと自体が手段化してはだめだ。自分のききたいこと、都合のいいことだけをきこうとしてはダメだ。内田はここで「聞く」の役割をすすめる。他者でも作品でも資料でもいい。そのもの自体の声を聞こう、と。

 内田の論はすすみ、「聴く」を専門家の態度、そのまま陥る陥穽として解釈し、さらに「聞く」に素人の自然な感界からの視座を重ねあわせる。あるいは、専門家は素人との共感の場でこそ物事をよくきくことができるのだと。内田の専門知批判は素人=大衆について楽観的だ。僕自身は、この内田の見解に批判的な面もあるのだが、岡倉天心が『茶の本」で「われわれが傑作によって存在するごとく、傑作はわれわれによって存在する」という宣言の強さにも魅かれてしまうことも事実である。