ロナルド・コース『企業・市場・法』を読む

 『企業・市場・法』の巻頭論文「企業・市場、そして法」はこの本全体の見取り図とコースの取り組みの意図を書いたもの。コースは従来のロビンズ的な経済学の定義(希少性の学問としての経済学)とそれと結びついたゲイリー・ベッカー的な「選択の科学」としての経済学が「狭量」であると批判した。
ベッカー、いままでのロビンズ・ベッカー流の経済学だと、「人間性のない消費者、組織をもたない企業、市場すらもたない交換」であるとその限界を指摘。コースの目的は、この無視された制度(企業と
市場)が「なぜ存在するのか」と問い、その問いの中で企業と市場の中で法が果たす役割を分析する。まず、「企業はなぜ存在するのか」。コースは「市場を利用する費用」(=取引費用)に注目する。これは市場で取引相手を探したり、契約を結んだり、駆け引きを行ったり、契約が護られているか否かを知るための費用だ。この取引費用を低下したい誘因が存在する。その典型例を「企業」だとコースは指摘。
つまり市場での取引費用よりも、少ない費用で済むことが企業の発生原因である。同じように、市場とは交換にともなう取引費用を少なくすることができる制度であり、それゆえに存在する。例えば、競争市場が完全に機能するには、様々な取引費用削減の仕組み(規制など)が存在している。市場が取引費用を削減し、うまく交換を促進するためには、規則や規制の体系=法が重要である。

 以上から取引費用が仮に存在しないときは企業はただの点のように中味のないものになる。似たようなことが取引費用が存在しない法律についてもいえる。取引費用が存在しなければいままでの議論からいえば法律の出番はない(点ですらない)。言い換えるとコースが批判している狭量な現在の経済学では、企業も法律も十分に扱えない(=取引費用を考慮していないから)。ところがここで不思議なこと、コースにとっては困惑することが起こる。

 コースの名前を冠した「コースの定理」は、取引費用がないと仮定したときに何が起きるかを説明したものであった。コースの定理は簡単に整理すると、「権利の配分がどうあろうと、それはパレート最適な資源配分に影響しない」あるいは「生産物の価値を最大化することは、法体系から独立である」というものである。「コースの定理」自体の教科書的な説明は別なエントリーで行う。

 このような取引費用のない世界をコースが重視したのではない。むしろ逆で取引費用のある世界(企業、市場、法が具体的な内実をもつ世界)をコースは説明したかったのにもかかわらず、経済学の正統はこの「コースの定理」のみをコースの貢献として応用した。例えばある工場を保有する権利を有していて、彼がその権利を行使して排煙を出せば、それに応じた取引費用が発生する(排煙の被害者との交渉や契約などの妥結に要するコストなど)。それは権利とその工場の産出する生産物の価値は独立であることを意味しない。これがコースの重視したい世界であった。

 限界費用価格形成原理についての教科書的な説明についてもコースは批判的である。詳細は書かないが、ポイントは政府の介入が事態を取引費用を発生させることなく改善できるとしている見方にある。実際には政府の介入が非効率を生じることがあるのだ。

 それをコースは本書の後半の諸論文で、特にアーサー・セシル・ピグー的な「外部性」議論への批判に応用する。教科書的な理解では、外部性が存在すると政府の介入の余地が生じる。「この余地が生じる」ということを経済学者はろくに考えてこなかった。「余地」や「可能性」があったとしてもそれだけでは、政府が事実として介入する正当性を与えない。実際に「外部性」は世界にあまねく存在し、それにすべて政府介入の可能性があると無垢に前提するのはなにかがおかしい。そのおかしさの直接の原因は、政府介入がまったく取引費用を要してないと考えることにある。

 政府介入もまた取引費用を要し、それが政府介入によって追加的に改善される利益よりも、その追加的な取引費用が上回っていれば、(たとえ教科書的な意味で外部性が存在したとしても)、政府介入は不用かもしれない。

 このときに重要になるのは、法の設置、変更である。もちろんこれにも取引費用がかかる。また変更の方向、設置の種類・状況によってそれぞれ、その法が可能とする取引費用の軽減の大小があるだろう。コースが注目したのはこの点である。私たちはさまざまな法体系をその取引費用に注目して選択しているし、した方が望ましい。

 われわれは経済政策を考えるときに、代替的な諸制度(法やルールの束)の選択を行っている。法と経済学が切り結ぶのはまさにこの点である、と。

 本書ではふれられていないが、アイディアもまた取引費用をコントロールする枠組みのひとつだ。これについて現在の中国経済に応用したのが最近著であった。これについてはまた別途エントリーを書く。

 コース氏の逝去にふれて、少しまとめてみた。

企業・市場・法

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