マイケル・ジェンセン「報道の経済学に向けて」

 1976年の論文。報道を経済学の視点から解説した面白い論文。自分のメモ代わりに興味を持ったところだけ。厳密に内容知りたい人は、僕のメモなど読まずにリンク先へ(笑)。

論文リンク先:http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=94038

 通常の需要供給理論では、財に対する嗜好の特質には無関心。だが報道の経済では、その消費(生産)対象となる財(ニュース)への嗜好の性格が大きい問題に。ここでいうニュースは、政治、経済、芸能などの中味を問わない多様なメディアが提供する広告宣伝以外のサービス総体を指す。

 ジェンセンは、ニュースの消費は、「情報」の獲得よりも、エンタティメント(娯楽)の消費であると喝破する。この娯楽としてのニュースの消費の特徴は以下に。現在のネット時代の傾向を考えても興味深い。

1 「あいまいさへの不寛容」…ニュースがもたらす「疑問」「問題」よりも、単純明快な「解答」を消費者は求める。証拠と矛盾していても、また複雑な問題であっても、単純明快な「答え」が好まれる。ニュースの消費者の多くは、科学的な方法を学ぶことにメリットを見出していない(学ぶ便益>学ぶコスト)。そのためニュースの消費は、いきおい、感情的なもの、ロマンティシズム、宗教的信条などが中核をしめる。

2 「悪魔理論」…単純明快な二元論がお好き。善(天使)vs悪(悪魔)の二項対立で考える傾向が強い。極端なものと極端なものを組み合わせて論じる物が好き。いまの日本でいえば、デフレ(国債低位安定)−ハイパーインフレ国債暴落)というようなもの。0か1かで考えるもの。
 最近みかけた例では、「景気回復で雇用が回復したり学卒が増えてもみんなブラック企業ばかり」というものもある。
 特に政府は「悪魔」になりやすく、政府のやることはすべて失敗が運命づけられているような報道を好む。
 また対立する意見や見解を明らかにするよりも、「人間」そのものやゴシップを好む。それが「面白い」娯楽になるからで、それ以外の理由はない。

3 反市場的バイアス

 市場的価値への嫌悪。例えば規制緩和自由貿易への否定的感情がどの国も強い。ジェンセンは、家族の構造にが反市場バイアスの揺籃の地として重視。家族の構成員の間の無償の交換(家事の分担など)が、金銭的報酬をもとめないことが、市場(金銭的報酬をもとめる交換行為が中心)への反感を伝承している可能性。
 ジェンセンは、この家族の経済学の中身にもメスをいれている。家族の無償交換(贈与経済)は、長期的な視点からたった合理的な行動。また家族の間の交換・生産を、その都度金銭で家族同士がやりとりすると取引コストが過大になる(例:一日三食の食事生産について生産者に対して消費者の家族が代金をその都度払うなど)。

 ジェンセンはまた「危機」は、娯楽としてメディアの消費者にうけがよく、それゆえに報道の側も「危機」を提供するバイアスがあると指摘する。また政治家や官僚たちもそのような「危機」を生み出す強いインセンティヴがある。「危機」を煽りながら自らの貢献を強調して、それで政治的な利得を得る可能性がある。
 例えば、「アベノミクスで貧困が激増する」「リフレでバブル発生し崩壊して経済がかえって苦しくなる」「消費税増税をやめると国際的信用がなくなる」という顕在化していない「危機」を政治家たちや官僚までも生産するインセンティブが今日でも見られるので、この指摘には同意する。多くの「危機」シナリオは、財務省日本銀行など官僚発なのも日本の常態だ。

 ジェンセンのこの論文は試論的なものだが、非常に面白い。彼の理論を補完するものとして、ロナルド・コースのアイディア市場の考えがある(このエントリーで一部ふれた)。コースのアイディア市場は、また別エントリーで、彼の最近の中国経済の動向解釈と関連させて時間があればまとめる。