河上肇と毛沢東

 Eテレをみた知人が、北京大学教授の王暁秋氏の発言「河上肇のアジア的なマルクス主義毛沢東に影響を与えた」という発言趣旨の「アジア的なマルクス主義」とは何か、という質問を頂いた。王氏に毛沢東河上肇を中心に論じた論文があるのかわからないが、一般的に毛沢東河上肇との影響関係はある。

 例えば戦後、多くの左翼系の知識人たちが毛沢東に会見したときの記録を残していて、その中で、毛沢東河上肇についての評価とその著作からの影響を述べたことが書かれている。

 一海知義先生の『河上肇そして中国』には、

1)野間宏を団長とした1960年の日本文学代表団の訪中時の毛沢東の証言を以下のように引いている(初出:竹内実『毛沢東ノート』1971年)

マルクス主義の伝播は日本においては中国より早い。マルクス主義の著作は日本から手に入りました。マルクス主義政治経済学そのものを日本の本で勉強しました。京都帝国大学教授河上肇のかいたものは、いまでもわたしたちの参考書になっています。河上肇『政治経済学』(竹内は注でこれを河上の『経済学大綱』と推測)。あの本のなかに、いかにして古い政治経済学から新しい政治経済学に発展したかが書いてある。河上は、新しい政治経済学はすなわちマルクス主義の政治経済学であって、毎年のように直して出版しました。かれはもう死んだでしょう」。

2)宮川実が1962年に毛沢東と一時間会談したときの記録

「毛主席とは一時間も話したが、先生を高く評価し、変革の精神をたたえ、革命家と評価し、憂国の学者であるとほめ、「貧乏物語」でもその前の著作でも、その精神は貫かれている。観念論から唯物論に至る道程でその精神は貫いている。先生のよい本は中国語に反訳し読ませねばならぬと云っていた」(宮川実「『資本論』と河上肇先生」、『東京河上会会報』15号、1967年10月)。

 ほぼ毛沢東の発言といえば上記に紹介したもので尽きている。これから河上肇の著作としては、竹内実やそして杉原四郎も同様に推測しているのが、河上の『経済学大綱』を読んだこと、そして宮川の発言では『貧乏物語』を読んだことである。なお省略したが、宮川は別の機会に、やはり62年に毛沢東と話したときに『経済学大綱』を読んだようだ、と推測している。

 『貧乏物語』はマルクス主義経済学の影響はほとんどなく、独自の国家主義的な見地からの貧困論であり、その解決方法の中心は、富裕層が自ら行う奢侈の抑制である。他方で『経済学大綱』は、河上のこれまたマルクス経済学への本格的な転換を示す前の著作であり、これの中心的なメッセージは、倫理的(利他主義的なものの利己主義的なものへの優越)なものである。その利他主義的優越に、国家主義的な要素が混在するところにマルクス主義経済学への本格的転換をなす以前の河上肇の特徴があるというのが僕の見方だ。

 とりあえず倫理的な色彩が強いという点では多くの河上肇の解釈の共通項にも思われるので、これが王氏のいった「アジア的なマルクス主義」の特徴に近いのかもしれない。

 なお、河上肇の影響は、間接的に李大ショウを通じて毛沢東にあったかもしれず、これについてはこのエントリーでふれた

 また毛沢東から河上肇への影響はかなり本人の直接の発言が残っている。これについては一海先生の下記の文献を読まれたい。