中村宗悦「「高橋財政」に関する新聞論調」

『歴史評論』の3月号は、1929年世界恐慌と日本社会の特集である。正直、中村さん以外の論文の日本語が非常に読みにくい。また歴史分析とはいえ、経済問題を扱う上での論者たちの分析ツールがどうも僕の持っているツールと違うような気もする。経済思想史研究の文体と歴史分析の文体の違いというのはかなり顕著なのかもしれないが。

 さて中村さんの論説では昭和恐慌期から馬場財政以降までの新聞の論調が当時の時代背景とともに的確にその特徴が描かれている。今日でも同じだが、新聞の論調には標準的な経済学的見地はみられない。ではどんなスタンスかというと「高橋財政」初期は、「井上財政」のスタンスの反映のような「インフレ政策」批判、清算主義的なニュアンスのものが中心であった。

 中村さんは「デフレ不況が深刻さを増している最中にも「インフレ政策」を忌避すべきものとして批判しているのは驚くべきことである」と指摘している。まさにいまの日本社会の現状と一部重なる(とはいえいまのメディアは特に最近ではそれほどひどくはないが)。

 さらにこの清算主義マインドは、「インフレ政策」が効果を表すとなりを潜め、これと常に連動している別のイデオロギー(財政の維持可能性への局所的な注目)が中心をしめるものに変化する。と同時に「インフレ政策」を政府とともに実施していた日本銀行への高い評価(特に過度なインフレ政策を抑制する統制されたインフレ策、今日のインフレ目標政策と類似した発想)が現われる。

 ところが二・二六事件の後では、以下のように政治的状況に押し流されてしまう。

「しかし、高橋亡き後、「庶政一新」「国民の生活安定」をスローガンに掲げた「馬場財政」に対しては、それを「高橋財政」の矛盾を突破するものと捉えた。これは「馬場財政」の増税作への転換と積極主義への組み合わせを評価したからだと考えられる。しかし、公債増発による拡大予算が軍部の要求も呑む形で成立すると、新聞論調も「準戦時体制」へと転じていったのである」

 要するに「統制されたインフレ策」=低いインフレ目標政策と今日呼べるもの、を新聞論調はなぜかクーデターを境にその支持から放棄へと姿勢を転換してしまっている。これは新聞論調が経済学的な立場に立つのではなく、その時々の政権のスタンスとその問題設定をそのまま鵜呑みにしているからではないだろうか。

歴史評論 2010年 03月号 [雑誌]

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