『日本思想という病』でカットした部分

 セミナー本体では話したけれども原稿収録時点で全体からちょっと浮くので削除した部分を以下にコピペ。この部分はある意味で河上肇と福田徳三だけではなく当時の経済学者の国家観や植民地思想との関係できわめて重要。

韓国に対する二人の態度
皆さんご存知でしょうが。僕は著作に冬ソナを論じた『最後の「冬ソナ」論』(太田出版、2006年)というものがあったりするほど韓国の映画やドラマが大好きです。
鶴見俊輔が「朝鮮と朝鮮人に対する日本人の態度を見ることを通して、日本人の質を一種の分光器による分析にかけることができる」と言っていますが、僕もそう思います。で、若いころの姜尚中はそれを徹底的にやった。それは『オリエンタリズムの彼方へ』という論集の中でまとめられています。
彼はその中で、福田徳三をかなり手厳しく批判している。どうしてかというと、福田徳三は、矛盾したことを朝鮮に対してやってしまったんです。
福田徳三の経済単位発展史観では、放っておいても個人と組織が合理性を伸ばしていって、社会というものが成立していく。ところが、彼は、朝鮮はその例外だとする。朝鮮は、自然に放っておいたらそんなことはできない。合理性が育たない国民だから。では、どうすればいいか? 日本人が教えてやる必要があると言う。
前世紀のゼロ年代には、韓国併合論がありました。姜尚中から見ると、こうした福田の主張は認めがたい。明らかに福田は、日本的なオリエンタリズムを朝鮮の発展史観の中に混ぜてしまっている。
 河上はどうかというと、外国に対しては、逆に国家主義的な立場をとらない。
例えば、当時とくに微妙な政治的・文化的な位置にあったと河上が理解していた沖縄問題があります。沖縄は、歴史的に日本と中国からの政治的圧力に長く直面していました。こういった微妙な政治的な位置と、あと沖縄独特の文化の展開ももちろんあって、自律的な文化と政治の問題が、沖縄を中心に表れていると河上は考えたわけです。
そして河上はゼロ年代に「沖縄舌禍事件」というものを起こしています。「沖縄の人たちは、日本に対する愛国心が乏しいように思える」と言ってしまった。それを聞いた沖縄の人たちは、もちろん「そうだ、そうだ」と言うわけではない、「愛国心が乏しいのは、独立したいからだ」と言うわけでもない。じつは河上は、そういう意図を込めて言ったのですが、沖縄の人たちはそう単純ではなかった。「俺たちは日本に対する愛国心すごくあるのに、河上はその気持ちを分かってない」と猛烈に反論する。
ところが沖縄の人たちの複雑なところは、そう言いつつも、河上の真意も理解している。たしかに河上の言うように、日本の国家主義に完全についていけない部分がある。でも、それを表だって言えない。
そこで河上は、国家主義的な観点で沖縄の問題を理解するのをやめたのだと思います。むしろこの舌禍事件を契機にして、彼は国家主義というものを放棄する方向に傾く。そして、当時の多くの知識人たちが肯定的に考えていた中国や朝鮮への進出についてはほとんど口を閉ざしてしまいます。これは福田とまったく対照をなしています。
 大正デモクラシー期になると、福田は朝鮮を日本社会の発生の延長におく。社会というものの独立の動きを朝鮮社会の中に福田は認めるわけです。国家から離れていく力が朝鮮社会にはある。で、そのいちばんもっとも離れていく極北に、日本の政治的な制約から逸脱しようという朝鮮の人たちの自治の動きがあると福田は考えました。ただ自治権を持ってはいるし、朝鮮だけに適用される法律あるけど、日本といただく憲法は同じである、と福田はそこまでは朝鮮の日本という国家から独立していく社会の動きを大正デモクラシー期には肯定したわけです。だけど結局、吉野作造との交流を通してどんどん福田は立場をある種先鋭化していく。最後は、朝鮮社会の独立運動に暗黙の承認すら与えます。
さらに晩年に至り、日本の中国東北部への進出が明らかになってくると、福田は「もう日本はこういった国家主義的な動きをやめるべきである」と言う。ただ朝鮮については、あくまでも独立運動を認めざるを得ないというところまでしかいかない。これが福田の限界です。鶴見俊輔がみた、日本人の思想の限界でもあるかもしれません。
 本当に朝鮮論というのは、日本の思想を試す大きなバロメーターですよね。姜尚中はいいところを突いている。吉野作造も、中国の独立運動は支持して、中国と日本のイーブンな関係を認めているのですが、朝鮮については福田と似たり寄ったりの立場です。自治止まりで、独立にはいかない。
河上の場合、マルクス経済学に走ったので、帝国主義戦争という構図の中で植民地支配を捉えてしまう。非常に図式化されてしまう。
河上と福田の他国・他文化圏に対する態度を見ると、かなり矛盾を抱えたり、単純な図式化を採用したりしていることが分かります。

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

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