国家戦略室雑感、日本銀行がいて湯浅誠がいないんだ

 とりあえず確か政権の目玉なのだが、なんだか天下りと日銀流理論死守の牙城になりそうな気さえしてくる人選が行われた。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091102AT3S0100E01112009.htmlより

戦略室に入った日本政策投資銀行の杉元宣文氏は旧大蔵省への出向経験があり、旧大蔵省OBの古川元久内閣府副大臣とともに仕事をした。日銀職員の長谷川圭輔氏は日銀OBの津村啓介内閣府政務官が引き抜いた。大手自動車メーカーの社員に戦略室入りを打診したが、実現しなかった。

 日本政策投資銀行日本銀行は政治的にはある種のスクラム状態であるかもしれない。高橋洋一さんが何度も指摘しているが、日本政策投資銀行は、民営化を事実上免れ、財務省のコントロールの下にある。高橋さんの推論だと、CPの買い入れを日本政策投資銀行にもさせることで景気対策の一翼を担わせることで「財務省支配下の政策金融機関を残そう」という画策がなされたという。しかも日本銀行はCPの買い入れを自行だけですれば純粋にマネーの供給量を増やすのだが、日本政策投資銀行が行っても自らCP買い入れの資金をファイナンスしなくてはならず、マネーの供給増加の観点から劣る、と高橋さんは指摘している。つまり日本銀行だけが行う方が景気対策として効果があるのにもかかわらず、わざわざ日本政策投資銀行に一枚噛ませていることが高橋さんの懐疑の根拠となる。日本銀行のこのときに、高橋さん流の表現での「つるむ」日本銀行のメリットはなんだろうか? 財務省への恩を売るという政治術なのだろうか? ここらへんは高橋説にも疑義があるのだが(ちょっと暗黒臭がする)、今回の国家戦略室にこの高橋流の「つるんだ」ふたつの部門(日本政策投資銀行日本銀行)の出身者が入り、(額面通りうけとると)日本の戦略を策定するそうなのだが、ひょっとしたら彼らの目的は風圧の強い、財務省天下り機関という批判をかわすため(そのロジックはムダなことはしてない、と首相が斎藤次郎任命と同じようにいえばすむだけかもしれない)、日本銀行への批判をかわすため、という政治的手札かもしれない。今後、この点から注目しておきたい。

 しかし湯浅誠氏は話題になったものの見送られたようだ。彼の『atプラス』1号に掲載された自伝的な話が非常に面白く、ちょっと個人的には評価を変更している側面があった。湯浅氏がわりとイデオロギーフリーな存在である(=実践的な人物)ことからも、いままでの超ミクロ的な雇用政策(これは田中的にはクビをひねるものがあるが)だけではなく、マクロ的な雇用政策や負の所得税、あるいは累進課税の強化を通じた再分配機能の復元などを国家戦略室の中で披露したら面白いのにな、と思ったのだが、その期待はどうも実現できなかったようだ。飯田泰之さんや荻上チキさんたちとの対談『経済成長って何で必要なんだろう?』で話していた、人の生存や「溜め」をつくる雇用政策とマクロ的な雇用政策(金融政策主導のマクロ政策など)は相性がいいのだが、湯浅氏が入らずに、消極的な雇用政策を結果的に支持している日本銀行が戦略室に入る。まあ、どうなることやら。官僚と日銀たちの既得権の擁護の場になるんじゃないのかな? 

経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)

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