ボ版・経済論戦その4(清算主義)


 内容は無保証。ここhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080531#p1の続き。

4 清算主義

 清算主義をもう一度書くと、経済の成長や発展は資源を無駄に利用しないことによってもたらされる、そのために社会に非効率的な資源の利用があればそれを除去しなくてはいけない。ただしそれには政府の介入は必要なく、市場の淘汰の力で行うべきである、という立場であった。清算主義の理論的な評価は、ハーバード大学教授のJ.ブラットフォード・デ・ロングの論文「“清算”循環と大恐慌」(1991年)や、慶應義塾大学の竹森俊平教授の『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社、2002年。改訂新版は日本経済新聞社、2007年)に詳しい。デ・ロング氏や竹森氏らによれば、この清算主義をもっとも明瞭に打ち出したのは、ジョセフ・シュンペーターである。シュンペーター世界恐慌を経験した後の1941年に行われた講演会の席上で次のような発言を残している。

 「ところで、景気の衰退とは何でしょうか。それは、存続しえない、また、持ちこたえられない要素を排除することを意味しています。それは、多くのものを破壊しながら無情に進行する「春の大掃除」で、価格・信用の構造がなければ無限に存続しうるものです。しかし、そのような「春の大掃除」の後、私たちは、常に、新たな消費財の到来を見ます。一九三〇年代の間でさえ、私たちは、その徴候をいくつか見ました。例えば、誤って労働生産性と呼ばれたマン・アワーあたりの生産高は、技術的、組織的、商業的などの進歩の徴候ですが、それがかなりの上昇をみせています。したがって、後に社会全体に対して消費財の供給をもっと増やすことが可能であるという事実は、一九二〇年代における過去の上昇を基礎としているだけでなく、枯れ枝を落とす無慈悲な大掃除の結果です」(J・A・シュンペーター「われわれの時代の経済的解釈」『資本主義は生き延びるか』八木紀一郎訳、名古屋大学出版会、2001年、邦訳249-50頁)。

 シュンペーターにとっては「春の大掃除」=清算こそが資本主義経済に「創造的破壊」をもたらすものと考えられていた。これは資源が効率的に利用されている潜在成長経路よりも下回っていた現実の成長経路が、「創造的破壊」を成し遂げる。すると従来考えられていた潜在成長経路よりもさらに水準で上回る新しい潜在成長経路に二段とびでジャンプしたようなものである、とデ・ロングは説明している。

 この二段とびの「創造的破壊」というより大きな潜在成長経路へのジャンプはどうして可能になるのだろうか。そのヒントは「デット・オーバーハング効果」にあると、デ・ロングは指摘している。ところで先に構造問題主義が清算主義と関連するのは、非効率性の発生源として「不良債権による金融システム機能不全説」と「日本システム機能不全説」というものがあると紹介した。デット・オーバーハング効果はこのうち前者に関係してくる。

 いま経済全体でなんらかの事業を行ったり計画を立てている企業家がいる。企業家はこの事業や計画を多くは、銀行を通して資金を調達するものとする。このとき銀行に資金を提供しているのは、一般の家計である。とりあえず家計の話を切り離しておくと、資金の債務は企業側であり、債権は銀行側が保有している。つまり不良債権問題とは、マクロ経済的には、企業側(債務者側)と銀行(債権者側)の両方に発生するものといえる。

そしてデッド・オーバーハング効果というのは、不良債権問題を主に企業側(債務者側)からみた視点であり、過剰な債務をもつ企業に対する新規融資が抑制される現象を指している。この場合、企業の前に利益をもたらすチャンスがあっても、融資をうけられないために、それは利用されないで終わる。だがデッド・オーバーハング説には無視できない特徴がある。過剰な債務をもつ企業にのみ新たなビジネスチャンスが到来するという考え方である。これはいわば、借金で首が回らなくなった企業だけになぜか好運が訪れているという特殊な事例ともいえる。そして過剰債務が不況による清算の力で解消すれば、この企業は新たなビジネスチャンス(先のシュンペーターの言葉で言えば新たな消費財の到来など)を利用できるので、以前の潜在成長経路よりも大きな生産可能性フロンティア=投資機会を得ることができるために、一挙にそれを上回る新しい潜在成長経路にジャンプできるのである。このような考え方は、今日でも第3章で紹介する予定の「ゾンビ経済学」の中で延命している。

 さてデ・ロングはシュンペーターや他のエコノミストたち(F・ハイエク、L.ロビンズら第二次世界大戦以前の古い景気循環論者)の清算主義の他の側面にも注目している。それは特にふたつの点で今日でも重要である。ひとつは、政府の積極的な財政・金融政策などの介入は、非効率な企業や労働者の清算を遅らせることで、かえって厳しい不況をもたらす、ということである。清算主義の立場では、財政・金融政策は非効率なものを延命させるだけで、デフレ・ギャップの解消にはならない。そのため当初の潜在成長経路を下回る状態は時間がたっても同じ水準のまま継続してしまい資源の浪費は続行する。もしこの政策効果が緩み、清算効果が発揮されたときは、以前よりもさらに激しい「春の大掃除」がはじまり、不況の過程はより厳しいものになるだろう。

 さらに注意すべき第二点は、デフレギャップの解消のためにインフレの状態を目指そうとして、積極的な金融政策を援用すれば、実体経済の改善にはまったく効果がないにもかかわらず、ある日いきなりハイパーインフレーション(年率1000%の高インフレ)に見舞われるであろう、というものである。このときハイパーインフレーションの効果によりさらに下方の成長経路にジャンプする可能性が大きいだろう。なおここで注意しておけば、過去のハイパーインフレーションは積極的な金融政策の活用の結果もたらされたものではない。多くは戦争による混乱、もしくは政府の財政赤字が維持困難になり、その赤字減らしに明白にコミットして貨幣を乱発したときに引き起こされているものである。

 ところで専修大学の野口旭教授は、『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(2006年、東洋経済新報社 )の中で、発足当初の小泉政権構造改革路線が、日本経済の停滞が非効率部門の存在という構造的な問題(構造問題主義)によるものであり、これら非効率部門を淘汰することでより高い成長率を目指すという「清算主義」であったとした。 ところが竹中平蔵経済財政担当相(当時)が金融相に就任し、それに伴って発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」に、当時ごりごりの清算主義者として名高い木村剛氏が加わったこともあって、いわゆる「竹中・木村ショック」がおこり日本の株価は急降下した。政府が不良債権の抜本的な対策で銀行・企業の統廃合に積極的にのりだすという懸念がマーケットや国民の間に広がったためである。しかし実際には小泉政権にあっては、りそな銀行への公的な救済に端的に表されたように、非効率的な銀行を潰すような清算主義の立場は放棄された、と野口氏は説明している。これは正しい評価だと私は理解している。