ほとんど評価されなかった、でも忘れられない3.11の前、数時間の話

 2011年3月11日はもちろん鮮明な記憶がある。その日は国会の各党派の政策担当者に、デフレ脱却国民会議で国会内を歩いて説明。超党派議員で結集して、勝間さん、上念さん、僕、浅田さん、片岡さんらも一緒にまわって、ともかくデフレ脱却を世間に宣伝しようとしてた。超党派&民間なので注目はあった。

 みんなの評価が低くいと思ってるが、日本のリフレ政策を実現する際に、上念さんと勝間さんが果たした役割は決定的だったと思う。つい学者たちは自分たちの理論の先駆性に目がいってしまうけど。

当日の記者会見の写真。震災まであと数時間だ。

もし国会議員が自分の理想と問題意識をもってもそれがまったく国会ムラ、そしてその腐りきった住民である国会担当の大手マスコミたちに微塵も通用しないことは、うすうす気が付いてたけど、やはりこの記者会見でそれを目の当たりにした絶望感は大きかった。マスゴミではなく、腐敗した肉の匂いがした.。記者たちの質問はデフレ脱却ではなく、当時話題になってた政局のことばかりだ。そして帰宅したら大震災発生。当然のことながら我々の試みは一行も新聞には掲載されなかった(あっても少し)。デフレの呪いにしか思えなかった。もちろん事態はデフレの静かな死ではなく目前の危機だったが。

ところでもし震災の日に研究室にいたら、おそらくただではすまなかった。その意味ではこのデフレ脱却国民会議の開催は僕の生命の行方に大きく影響した。震災のあとの研究室と僕の椅子。 ちなみに椅子に綺麗にかさなっている本は、シュンペーターの『経済分析の歴史』。シュンペーターといえば清算主義(不況はムダを排除してより高い成長をもたらす)の人。あやうくシュンペーター清算されるところだった。


いずれにせよ、3月11日は一生忘れることはできない。皆さん同様に