栗原裕一郎「週刊ビジスタニュース」論説


 80年代のポップカルチャーを、大塚英志的「おたく史観」と「新人類史観」との対立、それと微妙な位置取りにある宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房、06年)の論議を批判的にとりあげて検討を加えている非常に面白い論説でした。


 宮沢氏の本は、大塚氏の「おたく史観」を「正史」とすることを問題視していて、それに対立する概念で「かっこいい」=ピテカントロプス・エレクトス人脈の復権=新人類史観の復権を狙っている、と栗原氏は説いています。しかしこの宮沢氏の試みは失敗している、というのが栗原氏の評価です。


引用:大塚の主張――「おたく」を被差別階級として見いだし定義づけることで新人類は自らを「新人類」として分化したのだ、新人類とは根拠なき差異化ゲームに長けたおたくにすぎず、つまり「新人類vsおたく」の内実は「おたくの階級闘争」だったのだ――を裏付けこそすれ、覆すには屁の役にも立たない。なぜって、宮沢もなかば認めているとおり、「かっこよさ」とは、センスを根拠なく差異化することによって仮構されたヒエラルキーとしてしかありえないわけだから。引用終わり


 非常に面白く読めました。アーカイブに収録したら一読をおススメします。


 しかしこの栗原氏の論説を読みまして、なぜ、某偉大なる編集者嬢が、不肖田中に大塚史観批判をやれ、とすすめたのかいまさら納得できました。それは「かっこいい=ピテカン史観」という主観的=規範的判断を持ち出さないで、僕ならばバブル時代の文化シーンを語ることができるからでしょう。「新人類史観」の伴走者でもある「反経済学史観」に対立しつつ、「おたく史観」に吸収されもしない「日銀の失敗史観」(正しき『バブルへGO!!』史観 笑)に立脚して、この時代の文化を語れるかもしれないからです。ってまだ書いてないのに何いってんだか 笑。 とりあえずいつかに続く