書評『所有と国家のゆくえ』

 ぎゃーー! 群馬にきたら学園祭の代休で休講なの忘れてた!! 涙

というわけで『エコノミスト』書評再掲です。


『所有と国家のゆくえ』(稲葉振一郎立岩真也日本放送出版協会
評者 田中秀臣上武大学ビジネス情報学部助教授)

 本書は注目を浴びている気鋭の社会学者ふたりが再分配問題をめぐって交した意欲的な討論の記録である。所得格差の是正、社会保障のあり方、国際的な経済格差までを射程にして、両者は再分配政策について主にふたつの観点から論議を行っている。ふたつの観点とは本書の題名にも使われている私的所有と国家介入のあり方である。


従来の経済学の想定する再分配政策は、経済主体それぞれが自ら意思決定を行い、かつ私的所有が保障されていることを初期条件として設定している。しかし私的所有の成立する条件は、必ずしも主体的なものではなく、むしろ他者の行為によって制約されているかもしれない。例えば奴隷制やひとりでは生存することが困難な人間(障害者や幼児ら)を想定すればいいだろう。従来の経済学は私的所有を初期条件に設定することで自己決定や生存権の問題を見逃している、というのが著者たちの共通する見解であろう。


問題は経済学の限界だけでない。市場経済そのものが私的所有を前提にすることで、私的所有の条件を満たしていない人々の生き方を困難にしてしまう。立岩氏はここで「分配する最小国家」という考えに依拠して、国家は再分配に活動を限定することで困難な状況に直面する人たちを救済することを提言する。立岩氏によれば再分配以外の国家の介入は、私的所有を安易に想定する市場の活動によってますます生きる困難を増加させてしまうからである。それに対して稲葉氏は、国家は再分配政策のみに経済活動を限定するだけではなく、金融政策を中心とする景気の安定化や競争政策を採用することで民間の生産活動を活発化させることで、再分配政策をもスムーズに行うことができると「ケインズ主義的最小国家」を主張している。


本書の範囲では国家の役割に関して両者の対立は乖離してしまって調停が難しく思える。評者の立場からすれば、失業や規制などで経済活動が停滞してしまえば、立岩氏のいう「分配する最小国家」も存立が難しくなるのではないか。例えば失業やさまざまな市場の失敗は、市場自体の活動の所産である。市場が人々の生き方を困難にすることを問題視する私的所有論の立場に立てば、国家の役割が再分配のみに極限されるのはむしろ市場の放任につながり矛盾である。その意味で稲葉氏の主張する「ケインズ主義的最小国家」を社会連帯やより望ましい福祉国家の基礎にしていく方向に評者は魅力と可能性があるように思えた。