窯変小国主義と安倍政権成立の感情的基盤 


 安倍政権が発足し、いろんなところで安倍政権ネタが書かれていると思いますので、今日はふたつほど小話(ちょっとした感想)程度に。朝、近所のカフェにて増田弘『侮らず、干渉せず、平伏さず』(1993年、草思社)を読みました。これは石橋湛山を主軸にした20世紀日本論壇・政策における対中国外交論の通史というべきものになります。


 石橋湛山的な見解を例えば東アジア共同体論のようなイデオロギーへの批判の視座に適用した実例は拙著(『経済政策を歴史に学ぶ』)の最後部を参照いただきたいのですが、それを書いたときにも思ったのですが、湛山が戦前において小国主義を主張したときにくらべると日本と中国の位置づけがまったく逆転したな、と感じる側面があります。


 湛山の小国主義はその基盤を、(1)目前のリスク解消を至上目的とする実践的な側面、(2)経済的な利益を重視する側面 に求めることができると思います。もちろん国や民族同士が相互に理解するという立場もこれに加えていいと思いますが、湛山の小国主義のユニークさはむしろこの二つの点にこそあるように思えます。さてこの主に2つの観点から、湛山は20世紀に入ってからの日本の対植民地・対大陸政策を擁護する主にふたつの有力な見解に反対しました。(a)人口過剰ゆえに対外膨張・移民などの政策は必然、(b)対ロ(ソ連)や列強の脅威への「防波堤」として対外膨張政策はやむをえない、というものです。


 このふたつの見解に対して、湛山は、(a)の人口過剰は貿易・国内経済の活発化などの経済発展の中で無理なく吸収できる、(b)については対外膨張政策こそ関係諸国との緊張を深め経済的なコストをましてしまう、と批判しました。対外膨張政策が政治的な利益を損なうことも主張しはしますが、湛山のユニークなところは対外膨張政策の経済的なコストが割りに合わない、と具体的な数字をもって強調したことにあります。そこから湛山の青島放棄、満州、朝鮮・台湾放棄…と論を展開していったのはよく知られていることでしょう。


 で、ここで最初の増田本の感想なのですが、同著の中でこんな一節がありました。


 湛山は「一国が飽くまで自からの特権を主張し、優越的位置に固執すれば、その関係国が却って反抗し、これに服さないのに反し、その国が佐藤前外相の所謂平等的立場に立って対すれば、その指導権は却って確立される」と論じた。ここでの「一国」とは日本を、「その関係国」とは中国を指したことはいうまでもない(増田前掲本、116ページ)


 さて今日のエントリーの題名にもなります「窯変小国主義」ですが、(増田さんの解釈は当時の湛山の立場の解釈としては無論正しいのですが)これを現代に置き換えると、私には「一国」を中国、「その関係国」を日本、そして「自らの特権」を日本の過去の歴史問題への反省のつきつけという中国が有する「優越的位置」と解釈することが興味深い示唆を有するように思えるのです。


今日の安倍政権の誕生には、この政権への国民が抱く心情的・感情的な成立基盤が実現する上で、中国の「優越的立場」の政治的利用がなんらか功を奏したことは否定できないでしょう。


 従来の湛山的小国主義は日本の外交・国防・対外的経済スタンスと関連され、日本のみへの批判的な視座として活用されてきました。いや、されすぎてきたともいえるでしょう。


 それは基本的に正しいとは思いますが、湛山的小国主義の立脚するふたつの視点((1)と(2))は、自国のみならず他国のあり方、自国と他国のあり方にも広く適用可能なように思えます(それがまさに実践的な湛山主義の融通性といえるでしょう、しかし繰り返しますが、戦後の湛山的小国主義は自国のあり方の批判としてのみ機能しすぎました、そのことで湛山主義の批判精神はかえって実践性を損ねているとさえ今日ではいえるように思えます)。そしてまさに「窯変」ですが、湛山的小国主義と戦前の湛山の日本の外交・政治批判を今日の中国の政策のあり方やそれに関わるさまざまな意見への評価に適用することもきわめて有意義なように思えるのです。


 湛山はまた(第一次世界大戦後)アメリカにおける日本からの移民たちへの差別的処遇に対して日本の論壇がこぞって批判したことを非常に冷静に見ていました。そのような批判は民族間・国家間の感情と感情の政治的利用であり、アメリカにその解決を即時に求めることも不可能だろうし、また日本でも同じことが起きるであろうことは否定できない。言い換えると民族・国家間の感情(その政治的利用)の問題にコミットするのを避けるべきだ、と論じていました。この感情的な問題への即時のコミットを避けることという湛山の姿勢も実に興味深く思われます。


もうひとつのエントリーはまた後で