若田部昌澄「危機の経済政策ー湛山ならばどう立ち向かうか」

 これは『週刊東洋経済』の論説とは異なり、経済倶楽部講演録に収録された石橋湛山賞受賞をうけての講演です。これはとても深い内容の湛山論でして、『経済倶楽部講演録』(2010年11月)が一般で入手が難しいだけに少し残念です。なお経済倶楽部自体は東洋経済新報社内にありますし、この講演録も525円(税込)と定価がついてはいます。

 この講演のエッセンスはもちろん『週刊東洋経済』の論説のなかに凝縮されてはいるのですが、次のように石橋湛山が経済危機がどのように政治を変化させていくかに注意を促した箇所がありますので引用します。

「その大恐慌・昭和恐慌が続く中、1931年9月に満州事変が勃発しますが、石橋は「経済危機が政治を変えていく」ことについて非常に憂慮していました。満州事変から日支紛争(日中戦争)に発展していく時に書いた社説「果たして帝国主義戦争か」(933年3月4日号『全集』9巻)では、共産主義者はこれこそレーニンがいう帝国主義戦争だと言うが、そうではない。軍部が大財閥や権力者への反感を利用して起こした反資本主義的運動であって国内改造をするための道具として満州事変を使っているのだ、とするわけです。そのうえで、「此事件は、単に(国際)連盟を脱退し、熱河(満州に編入された熱河省)を討伐し、満州国を建設する等のことで終わるものではなはいことは明らかだ。真の問題は、斯様な国外のことにあるのではなくして、国内に存するのである」(同)と言い切るわけです。このように、経済の危機が及ぼす政治的影響力ということについても、石橋は非常に敏感でした」

 つまり国内の問題はデフレ不況にあった。それを考えることもせずに、海外に責任をかぶせ、その国際問題を利用して、日本の社会改造を試みるという、二重にも誤った政策方針を採用していき、泥沼に陥ったのが戦前である。

 いまでもこの湛山の示唆は重要だろう。多くの他国との外交問題、紛争などはほとんどが実は自国の問題の反映でしかない。いまでもグローバル化や海外要因の不況、ポスト資本主義の進展などに、いまの日本経済の苦境をもとめる論者がいる。しかしそれの多くが間違いであると僕は思う(その理由は、多くの本に書いたので省略)。おそらく若田部さんも同じであるし、また湛山も生きていれば同じことを言明したであろう。

 石橋湛山は日本で最高の経済学者であることは、いまの経済・社会を考える上でも重要な視座を提供していることからも自明であるように僕は思える。

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)

石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1)