取調室雑感

 もちろん被害者で警察署に今日行ったわけだけどw そこで取調室というものに生まれて始めて入った。といっても事務フロアの片隅に簡易のべニアで囲んだような空間なんだけど。1対一の机と椅子があって、あとは簡単な空調、電話が据え置かれてあるくらい。

 そこでまっさきに嫌〜な感じになったのは、その取り調べる側の椅子は革張りの手すりがついたそこそこましな椅子。対して僕はただの折りたたみのパイプ椅子。
 なんか被害を訴えにきたのに、もう気分は犯罪者 笑。椅子の高さも調べる方が高く調整してある。

 取り調べてくれたのは、ちょい目つきは怖いがw、話してみるとただの人のいいおじさんなので、なんでこういう風に椅子が不平等なのかw 聞いてみた。応接室では刑事関係の事件の話を聞くわけにもいかないので、申し訳ないけどここで、と前ふりしたんだけど、まさか僕の口から椅子の不平等について不満を聞かされるとは思ってなかったみたい。「予算がないんですよ」「東京都にいってくださいよ 笑」などと答弁を彼から引き出し??、事件は脇においてしばしなぜこのような椅子の非対称性が存在するのか、僕が簡単に事情を聴取をすることになった 笑)。

 以下は別にその人にいったわけじゃもちろんないけれども笑 いろいろ考えてみた。このような椅子の不平等はなんらかの心理的な効果を狙っているのか?(取り調べる側からの心理的圧迫を感じやすくさせる。でも加害者だったらわかるが被害者にまでそういうことして何か意味があるのか?)  パイプいす自体の機能になんらかの便益があるならなぜ聞く方も同じのにしないのか。あるいは僕と座るところを交換するとか、なぜそういうやさしいw応対ができないのだろうか? 明らかに長時間だとこちらの方が疲れる。それと狭い空間で、なおかつ入り口にほかの担当ぽい人もたっていると、本当に圧迫感がある。こういうのをいろんな事件の被害者たちも経験しているのかなあ。だとしたら余計なストレスかもなあ、と僕は思った。もうこれはひとつの経済学の問題に近いな、といま思っている。被害自体は嫌なことだが、こういう経験はある意味で得難いものでもあるのかも……いや、あんまりしたくないや 笑。

 事件自体は以前からネットでたまにあるようなもの。さすがに堪忍袋の緒が切れてる。今度起きれば、警察も積極的に動くと文章まで作成して確約してくれたのでまあ納得はしている。

野中モモ編『少女と少年と大人のための漫画読本2008-2009』

  さて現状は、フランスのマンガ家メビウスとその関連作家の調査と読書に追われてて、幸福なのか不幸なのかわからない境遇なのだが、まあ、めったにマンガ評論を書く機会もないのでなんとか踏ん張っている最中である。そんな中本書を手にした。昨年度と同じように個々のマンガ評や選択眼のキャラが立っていて面白い内容である。とはいえ、最近は国際的な観点というか、少なくとも日本で同時期に翻訳されたマンガの動向ぐらい追っている評者に関心がシフトしているのが僕のいまの好みである。その点で今回、同時期の翻訳ものなどに目線を投じている人たちが本書では、三人ほどおられる。ばるぼら氏、ひと手間かけ子氏、泉智也氏である。何十人の中から三人というのは少ないが、ほかのベスト本ではもっと割合が低い。そしてこの三人はやはりほかの戦車と異なり、ユニークなものをえらんでいて面白い。特にひと手間かけ子氏はお名前のようにひと手間かけた選本であり、勉強にもなった。市場大介や復刊『神聖モテモテ王国』など読んでみたいかったり、島田虎之介の『ダニーボーイ』や諸星氏に注目するなど僕と好みがかなり重なる。

 ところで最近、僕は弐瓶勉のすべての作品と新連載のもの、黒田硫黄、都留大作『ナチュン』、F.スミス『ピポチュー』、高橋のぼる土竜の唄』、秋山はるオクターヴ』、河合克敏『とめはね!』、バスチャン・ヴィヴェス、『LiQUID CITY』などのアンソロジーで知った何人かの作家、そしてなんといつても谷口ジロー、諸星西遊などの連載や単行本を好んでいる。『坂道のアポロン」『大奥』『ちはやふる』などの話題作はそれなりに面白いのだが、何か作品の色気に欠ける気がした(草食系マンガ? 笑)。小玉ユキのほかの作品は大好きなんだけどね。

 野中モモ編『少女と少年と大人のための漫画読本2008-2009』は以下で買える。

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海老原嗣生『雇用の常識「本当に見えるウソ」』

 ご恵贈いただく。どうもありがとうございます。副題に「数字で突く労働問題の核心」とある。本書はかなり論争的な本である。また副題のように誰でも利用可能な数字をもとに論を展開している点は論争をわかりやすくしている。本書が想定している批判の対象は広範囲にわたる。

 全体的に面白く書かれていると思う。またいくつもの論点で納得するところも多い。せっかく献本いただいたのだからすべて好意的に終わりたいのだが、実はそうはいかないように思う。特にマクロ経済の問題が大きく関わるところではやはりいっておくべきことがあるように思える。

 例えばジニ係数などを用いた「格差不拡大論者」への批判という個所がある。「高齢化を言い逃れにする愚は避けるべき」という一節がある。名前は出ていないが、大竹文雄氏などはその批判の対象だろう。しかし格差拡大の主因として、大竹氏の『日本の不平等』などでは確かに高齢化が大きく寄与していることを明言しているものの、大竹氏は別にそれを「言い逃れ」しているわけではまったくない。また本書で説くような高齢化を主因とする格差不拡大論者が、高齢化を小泉政権反対派への論拠として自らの主張を利用しているわけでもない。そもそもそんなしょぼい動機で議論している人がいるのだろうか?

 また大竹氏はまた若年層や高齢者層への再分配の在り方について終始議論を展開していることも読み逃すべきではない。若年層での格差拡大は、失業経験や非正規就業の貢献を大竹氏は示唆していたはずだ。その文脈で、彼は正社員雇用の在り方を変革する必要性を説いているのだ(それに対して不況論の文脈で僕は大竹氏を批判しているのだがそれはむしろ彼が論点を明確にしてくれているため可能になっているともいえる)。

 他方で人口高齢化による不平等の拡大も問題がないなどとは主張してはいない。例えば大竹氏の『日本の不平等』では、世代内のリスクプーリング(簡単にいえば自分の責任で長寿化にそなえて保険かけること)で主に対応すべき問題が多く、世代間の所得移転(介護保険など)は慎重な制度設計をすべきことが書かれている。

 さらに海老原氏の本では構造的失業が4%弱であるとしている。これだと昨年の夏以前の1、2年はむしろインフレの加速化が生じているはずである。しかし現象としてみられたのは、石油関連の相対価格が上昇したこと(コアコアCPIはマイナスかせいぜい0近傍であった)、その半面で賃金所得の上昇がみられなかったこと(もしくはGDPデフレーターがマイナスであること)、である。これは4%弱が構造的失業であることをきわめて疑わしいものにしているだろう。著者が人材サービスの経験から雇用のミスマッチではなく、ディスマッチ(仕事の高度化、嗜好の壁など)に重点を置く気持ちはわかるが、簡単にいうと日本はつい最近までの「好景気」の中でもより一層の需要刺激が可能であり、それによって「雇用のミスマッチ」や「雇用のディスマッチ」にみえたものも相当解消された可能性の方が大きいだろう。

 ほかにもいろいろあるがこのくらいにしておかないと一日が終わってしまう。その意味では刺激的な本ではあるので一読を勧めたい。

雇用の常識「本当に見えるウソ」

雇用の常識「本当に見えるウソ」