Bastien Vives:Le Gout du chlore(塩素の味)

 今年度のアングレーム国際バンドデシネ・フェスティバルで優秀新人賞を受賞した作品。絵画的というよりも、美しい色彩のアニメを見るかのように物語がすすむ。病気の治療のためにプールで泳ぐ若者と、そこで出会った少女との、つかの間の遊泳、そして別れを、本当に塩素の味がするような色彩の中で描き切る。

 素晴しい詩情。グーグルの翻訳機能でも十分オッケイな程度のフランス語しか出てこないので、広く読まれるといいな。たぶん日本でこれ読む人は100人はいないだろうけど 笑。

定額給付金で買いたい経済本ガイド(おつり466円コース)

 さてさんざん日本のメディアは、定額給付金に国民の大半は反対、といいながら同時に定額給付金をもらうと国民は大喜び、という自己欺瞞的報道を繰返してきましたが(苦笑)、昨日は日本で最初に定額給付金がもらえた人たちの嬉しそうな報道を嬉しそうにメディアも報道していて、なんだかな感がメディアに対してまたもやあるわけです。しかしここはそういうことはこちらにおいておいて、そこの君。で、その定額給付金でたまにはちゃんとして経済学の本でも買わないか?

○1万2千円コース

まずなんといってもこの世界的金融危機を理解する本でしょう。そして僕は同じ著者の著作をなるべく一貫して読むことが、まずはこの世界的な事件をみる上でのしっかりした基盤になると思う。その意味では岩田先生の著作を読むのが一番手っ取り早い。

入門的な位置にあるのは、finalventさんもおススメのこの本。これ以上わかりやすい日本経済論はあまりない。

岩田規久男『日本経済にいま何が起きているのか』→1680円(田中の書評も参考に)、残高10320円

日本経済にいま何が起きているのか

日本経済にいま何が起きているのか

その次に上記の本を補う景気問題の高校生でも読める入門書(でも自分で景気予測までできるすぐれもの)

岩田規久男『景気ってなんだろう』 →798円、残高9522円


景気ってなんだろう (ちくまプリマー新書)

景気ってなんだろう (ちくまプリマー新書)

さて応用編というか、世界同時金融危機そのものの理解にいよいよ突入しよう。


岩田規久男『世界同時不況』(ちくま新書 近刊)→756円、残高8766円


世界同時不況 (ちくま新書)

世界同時不況 (ちくま新書)

岩田規久男金融危機の経済学』→1680円、残高7086円

金融危機の経済学

金融危機の経済学


さてでは次に岩田先生の本を補うこれまたすぐれた世界同時金融危機を対象とした本を買いましょう。


まず日本、中国、ヨーロッパ、インド、新興国などなど世界各国の経済状況が一目でわかるこの本は非常にお手ごろ。このブログでもこの本の世界各国めぐりを基盤にして今後、いくつかエントリーを書こうかな、と思っている。世界経済ツアーはこれから始めよ。


原田泰+大和総研『世界経済同時危機』→1785円、残高5301円

世界経済同時危機―グローバル不況の実態と行方

世界経済同時危機―グローバル不況の実態と行方

さて、不況が長びくと、既得権益を保持しようとする人たち(官僚や独占的な権益を狙う企業家、それと結託する政治家、労働組合など)が、なぜかその既得権益と相反する利害をもつ人たち(失業者や社会的な弱者)と、なぜか共闘してしまい、ますます不況の中で市場のいいところが阻害されていく、という話を徹底的に議論した、いまの日本経済を考える上での必読の書。高いけどこれをドンと買えるのが定額給付金のいいところ。

ラグラム・ラジャン&ルイジ・ジンガレス『セイヴィングキャピタリズム 』→3675円、残高1626円


セイヴィング キャピタリズム

セイヴィング キャピタリズム

さて毎日でてくる経済データ(経済統計、経済指標)を読むのも重要だよね。そこでおススメできるのは次。

鈴木正俊『経済データの読み方』→819円、残高807円

経済データの読み方 新版 (岩波新書)

経済データの読み方 新版 (岩波新書)


 さてオオトリはやはり自分の本をすすめちゃいましょうか? 笑。最近、再読してみて、「あれ?これってすごく便利!」だと自分で思ってしまったのが、講談社現代新書ででていた現在アマゾンとかでは品切れの『経済論戦の読み方』だった(版元在庫はあるかも)。これいま、アマゾンで1円で売っている(郵送料340円) 笑。いまこれの最新版を構想しているからちょっと待っててください。もちろん僕の最新刊(『雇用大崩壊』)をご購入してくれればいうことなし(笑)

経済論戦の読み方 (講談社現代新書)

経済論戦の読み方 (講談社現代新書)


以上でしめて計8冊。で、差し引いてまだ466円あるね。すごいね、定額給付金。笑

クルーグマンの発言解釈学について

 僕はみなさんも御存知のように専門は、日本の経済思想史研究。一般に「経済学史」「経済学説史」「経済思想史」の一分野を専門としているわけです。で、この商売の人は、特定の人物(あるいは集団・組織)の発言の意義を、まあ解釈するのがその研究の多くの中身になります。


 例えば、その研究対象となった人(多くは物故者)の発言が、その人がその発言をした時代とどう関係しているのか(いないのか)、あるいはいまの時代への教訓としてどのようなものを引き出せるか、あるいはもっと狭くその人の発言の矛盾があるのかないのか、などというわけです。


 特にいま最後にあげた、特定の人物の発言に矛盾があるのかないのか、などをめぐってしばしば「アダムスミス問題」(スミスの『国富論』と『道徳感情論』との立場は一貫しているのか否か)など、「なんとかという人の問題」というものが話題になります。


 こういうものは、実際の経済政策ですとか、あるいは時事的な問題へのインプリケーションとしては、ほとんど役に立たない、言葉の正しい意味での懐古的な分野だと思っていましたが、日本でしばしば話題になるのが、その「なんとかという人の問題」のクルーグマン版。つまり「ポール・クルーグマン問題」」じゃないかなと思います*1


 でも、僕はこのエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090120#p1でも書いたけれども、彼の理論的な矛盾は別にないように思えます(koiti yanoさんのブログでも理論的な矛盾はない、ということです)。むしろその発言が矛盾してたり、曖昧になっていると受け取られてもしょうがないのは、彼の政治的なスタンスだとかに影響されてるんじゃないか、と思うんですよね。もちろんその点で、矛盾を追及することも可能かもしれないけれども、クルーグマン流動性の罠モデル固有の矛盾でないかぎり、そんな大きな問題かなあ、とか思うんですよね。


 まあ、クルーグマンのポリティカルな発言の矛盾をついて、それで彼の発言の信頼性を失墜させて、さらに(理論的矛盾はつかないまま)流動性の罠モデルの信頼も失墜させる、という手の込んだ(信頼の負の乗数効果か? 笑)手口をつかう人もいるかもしれませんけどね。


 でもそういう議論に納得する人って、そもそも流動性の罠モデルなんて実はどうでもいいんじゃないかなあ。とりあえず理論を論理的に議論するというよりも、ただ単にネットでのたわいのないプロレスごっこに時間を潰しているだけの知的な堕落。そんな感じじゃないかな。

(付記)その話題の最近のコラムにおけるクルーグマンフリードマン&シュワルツ批判なんだけど、これは一昨年以来の論争の続きで、そこらへんはすでに三年前にhicksianさんがまとめているんだよね。

http://blog.goo.ne.jp/regular_2007/e/411978b0952ff5120d77f7438de38292

もちろんシュワルツはいまや清算主義になり(笑)、クルーグマンも財政至上主義(でもフレームワークはインタゲでの流動性の罠脱出と同じだけど)を究めていくようにみえて、そういったものがすべて含まれる未知の「一般理論」が今後でてくるのまでは否定しないし、否定どころか、これほどの21世紀最大の経済事件で経済学が大きく変化しなかったらそれは嘘でしょう。

(追記その2) あ、最近、mixiの方しかネットはみてなくて、hicksianさんがまさか例の自己欺瞞本にかけて上のエントリーの続きを書いていることにきがつかなかったワイナリー

http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20090305#p1

*1:いま流行のヴァージョンでは、昔は流動性の罠では財政否定し金融政策中心、いまは金融政策に否定的で財政中心で明らかに矛盾する、という風説。もちろんこれは本文にも書いたけど昔からクルーグマン流動性の罠での財政政策も金融政策も有効である可能性を論証していたわけで理論的には無矛盾なんだけど