感染期の経済対策をどう評価するかー倒産、失業、生命の危機の回避:ドカンとやってスピードあげる

よくありがちな悲観論では、「経済規模が見たこともないほど落ちる」という発言を語ることが今日の風潮だ。しかしそこだけ見てはだめだ。生産・消費は急激に落ち込むが、だがそれでも倒産も失業もできるだけ起こらないようにしているかどうかが感染期の経済対策の成果では特に問われる。これが最重要点。

 

通常の大不況では、生産・消費、もちろんGDPの水準が何十パーセントも落ち込めば、失業や倒産は激増するだろう。だが、感染期の経済対策がうまくいけば、失業や倒産をだきるだけ避けることができる。というかそれがすべてだ。「仕事がなくても失業しない」「お客がこなくても倒産しない」。それが目標。

 

そのためには何が必要かは自明で、生産や消費にまわらなくても、働いていたときと変わらない生活資金を得ていること、また商売がそこそこ回っていたときと同じだけの収入や支払いなどができること、これを維持できるお金を政府・日銀が協調して出すことに尽きる。45度分析でいうところのほぼ完全雇用GDPの水準に等しい金額。日本だと新型コロナ危機前のGDP水準に近い需要支持の金額だと不足する。なぜならそのときは消費増税で経済が急下降していたからだ。せいぜい消費増税前の昨年第三四半期レベルのGDPを実現できる需要支持に等しい金額を、生活を支えるために政府は支出しないとダメだ。

 

そして二番目のポイントは、通常の経済の悪影響は時間の経過とともにその影響力が衰えるとだいたいなみなされる。株価がいきなり半額になってもそのショックは当初が一番でかく、時間の経過とともに小さくなる。だが新コロは違う。時間の経過とともに不確実性が高まる傾向にある。先がみえない。

 

この新型コロナ危機の経済政策を考える際の二番目のポイントは、ナイト的不確実性があることだが、これについては、東日本大震災の時に、上念司さんと書いた『「復興増税」亡国論』(宝島社新書)から以下、画像で引用。
ポイントは、不確実性の高い時は、ドカンとスピードつけて経済政策やること。

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いまでもあてはまることに自分でも驚く。

スピードが遅いほど、先ほど指摘したように不確実性が低くなるよりも高くなるかもしれない(ならないかもしれない)。だから早くやればやるほど、不確実性への対処としては望ましい。ここは今の新コロナ危機で国民の多くが実感しているでしょう。スピードこそ命って。それだけでなく、なぜドカンか。

ナイト的不確実性は、明日、晴なのか雨なのか確率がまったくわからないこと。いま旅行にいくときにスーツケースには、晴に着る服か、雨のときもつレインコートか、そのどちらかしかいれるスペースしかない。どうする?
答えは、スーツケース(=経済規模)をどかんと大きくして両方持ってくのが正解。

あとは、狭隘な人は否定しがちだが、政府がドタバタその場つくろいの政策をしても今回は仕方がない。逐次対応はむしろ政府の柔軟性として(ましな政策になったときは)望ましい。政府に逐次対応を恐れさせてはいけない。上念さんとの共著にもポと書いてある。10年前書いたことと同じで僕らにブレはない。

 

いまの日本の経済政策の規模感はおそらく二月から四月末までの落ち込みを支えるのでせいぜい。これからまたひと月、緊急事態宣言を延長するならば、感染期の経済対策に景気回復後の経済対策とのブリッジを合わせないといけない。なぜならある程度の景気刺激をしないと新規採用が吸収できないからだ。これはさらに困難が増していくことでもある。

 

これは緊急事態宣言を伸ばせば、それで感染症を抑制できるという話ではなくなることを意味する。期間の延長は実はより感染症抑制がより難しくなり、経済活動にどうしても資源を振り向けないといけないことを意味する。ひと月ばしてもおそらく感染症の封じ込めに資源を優先できるのは五月前半までだ。

 

感染症の抑制も経済活動も同じく「生命」を重視するという目的では同じだ。前者は感染すれば死者や後遺症を抱える人たちが出る。だが経済活動を損ねるとやはり社会的な地位の喪失、精神的な病などで死者もでる。その意味で国民の生命にかかわるという意味では同じである。

 

第二次補正予算には、定額給付金をもし連続して給付するという仕組み(安田洋祐案のように毎週1万円支給を感染終了まで出すなど)ができないならば、最低でも国民一人あたり20万円を組み合わせないとまずい。これで総額26兆円近く。一次補正の給付金総額(個人・企業)が15兆円超なので、合わせると41兆円。その他にも真水やら修正真水やらがあるのでなんとかギリギリ、上記の需要支持にあたるのではないだろか。

 

ちなみに規模(どかんの部分)とスピードが最重要であり、政策の具体的な手段は正直二の次である。感染期は特にお金が手元にあり、そして支払いなどをしなくてすめばいい。それが実現できるものとしては、現金給付と支払い猶予か免除が最適であろう。

 

消費減税をどこに組み合わせるかの問題だが、これは感染期後期から景気拡大期の大きなテーマになる。消費減税の幅は2~5%の間だろう。それも期間限定ではダメだ。期間限定で0%にするのは消費減税案の中でも最も愚策にあたる。消費増税の影響は恒常的=ずっと継続する、という特徴にあった。だから消費増税は景気減速から逆L字のまま消費を低迷させ、経済を減速させた。ならば期間限定ではなく、ずっと下げることが望ましい。そのためにはいまの財政構造を前提にするならば、消費減税の幅は個人的には2%下げるのが現実的、5%下げるのが理想になる。それ以上の恒常的な引き下げ=消費税0%は財政構造そのものの見直しが必要になり(この点は、高橋洋一山本太郎両氏の論争をみればよくわかるだろう。どちらに味方するにせよ、消費税を5%から下げることは大きな改革を要する。消費税だけの問題ではなくなる)、上に書いたような感染期後期から景気拡大期の経済政策の対応としては時間がかかりすぎて現実的な政策対応とはいえない。

 

以上は何度も何度も書いたり、話したりしているが、実はあまり徹底して認識できている人が少ない。経済情勢のひっ迫を理由にして、なんでも大きな危機を叫ぶ、なんでも大きな金額をいえばいいようなカルト的風潮が盛んである。そういう反知性的な動きを覚めた目で、どんな視点で経済政策をみればいいのか、そのための基準として参考にしていただければ(というか何度も何度も公表してるが)幸いである。