僕は勉強になって、1)どうして僕は『風立ちぬ』がつまらなかったのか、2)作中のゾルゲ風の男の位置をどう考えるべきか、3)堀辰雄の作品引用がなぜこうも薄っぺらいのか(→三島由紀夫と石原慎太郎との対比)
の主に三点にこだわって話しています。特に三浦小太郎さんと稲葉振一郎さんの意見の対比を、自分なりにせこせことw吸収しながら意見を整えていけたのが大きな収穫でした。
1)については、会場にいた知人の伊藤さんと日美子さんの意見がとても役立ち、ライトノベル的なうすっぺらい定型化されたキャラ設定が問題だったこと
2)については、三浦小太郎さんの二郎の純粋性は狂気や地獄の裏返しである、という指摘に同意しました。その上で、ゾルゲ風の男は、二郎に日本の破滅だけではなく、菜穂子と二郎の破滅さえも予見していたのだと思いました。ただし1)のような要因が阻害して、ゾルゲの位置が僕にはアニメをみている中では十分にその位置を感じ取ることができなかった。
3)については、石原慎太郎の制作・脚本をした『俺は、君のためにこそ死ににいく』と宮崎のこの作品との対比ー前者は厳しい環境の中での目的ー手段のはっきりした人間たちの行動を描くもの、後者は厳しい環境の中で目的と手段があいまいなままひたすらテクノロジーの追求そのもの(手段の目的化)を描いた「純粋性」の狂気を描いたもの、という違いとして、僕は把握しました。ただし両方ともキャラ造型が定型化していて、映画としてアニメとしてつまらないところで共通していたけど。