今日発売の『週刊東洋経済』のベスト投票。まだこれを書いている時点では結果を知らないのですが、僕はエントリーの題名にあげた岩田先生の本を政治書の第二位に投票しました。そもそも経済書とか政治書とか実際に時論ベースとか政策論争ベースで考えるとあまり意味のある区分ではないですね。僕はおおよそ時論や政策ベースでしか最近は本を読んでないこともあります。ちなみに時論や政策ベース基準とかいうと、なんか生々しいリアルぽいのですが 笑 それ自体が知的な探究の対象なのです。
さて岩田先生のこの本は本当に素晴らしい本で、こと日本という風土の中では参考になるものです。以下は僕の推薦文全文です(実際に掲載されているものと違うかもしれませんが)。
福澤諭吉の論争術と思考法を現代に蘇らせ、様々な話題に適用する手腕は素晴らしい。福澤の「古習への惑溺」論から、「競争は惑溺を一掃する」と著者が看破するところは、本書の白眉だろう。
すでにこの本についてはこのブログでも紹介しました。福澤の惑溺論から岩田先生の本の特徴をとらえた推薦文なのですが、惑溺論自体は本書のごく一部、第4章「惑溺するなかれ」にでてくるものです。この章以外もすばらしいのですが、競争との関連がもっとも明白なのが惑溺論であり、そのためにここを本書の核のひとつとして書きだしたわけです。
この惑溺論の章のまとめで岩田先生が書かれていることを以下に引用します。
習慣や伝統を無批判的にありがたがる思考は惑溺である。市場原理主義批判のように、市場の欠点から逆に「反市場」をよしとする思考も、市場の欠点をどのように修正するかという視点を欠いた、「反市場への惑溺」である。こうした惑溺思考は、進歩や改善や発明・発見などの妨げになるばかりか、みずからが意図したよきことの実現も妨げる。
例えば僕らは規制緩和や民営化などの効率性をさまたげる官僚たち動きを厳しく批判するが、それを「官僚批判」といってあたかも官僚ゆえに批判するみたいな態度としておとしめるやり口がある(上の市場原理主義批判と同じやり口)。しかし官僚が問題ではなく、官僚が効率性の向上をさまたげるゆえに問題なのである。そんなことはちゃんと説明してても、この手のやり口に惑溺する連中にはちっとも届かない。
惑溺は競争が機能するところでは排除されやすいが、ネットやまた競争から遮断された環境(家庭内や公務員たちのいる職場など)では、この種の惑溺を排除するメカニズムは機能しずらい。そこで福澤も岩田先生も競争以外に「疑う思考」の重要性を強調し、そのためには学問を学ぶ(例えば素人におぼれることなく、経済学を学んでのちに思考の取捨選択を行う)ことの重要性を何度も強調するのである。
- 作者: 岩田規久男
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2011/02/25
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (8件) を見る