グルンステン関係

 日曜日の研究報告について石垣尚志さんが感想を書かれていますのでご紹介します。

 http://d.hatena.ne.jp/ishigakitakashi/20091217/p1

 他には杉田俊介さんが感想をtwitterで書かれていました(ここここ)。ありがとうございます。杉田さんの疑問は僕も抱いています。以下に書いたことにそのヒントがあるのではないか、というのが僕のいまの方向性です。

 この前の報告のレジュメは図表をトレースできたらここでも公開するつもりですが、いまのところいつになるかは未定です。

 上のブログで、石垣さんが引用しているグルンステンの文章は、この間の報告の日本の「マンガ表現論」(この呼称は日本独自のものだということを忘れるべきではない)の文脈でいうと次のように思えます。

 例えば伊藤剛さんのキャラ論(キャラクターとの対比としての)などは正直、一部の人間が「ああ、そういうことあるある」という主観レベル(グルンステンが提示したり、僕のいっている主観的要素=選好体系ではない、まさに恣意的な思いこみ)でしかないのではないでしょうか。それが日本のマンガ批評の世界で標準になっていることろに固有の問題性があるのかもしれません。

 フランスでも同じかもしれず、そういう背景からグルンステンの次の発言もあるのかもしれない

「コマ枠の内部に立ち入ること、コマを解剖してその図像要素あるいは造形要素を数えあげ、そこからこれらの分節=連接様式をしらべること、そういったことは無駄に膨大な概念が浪費されるばかりで、理論上重要な進展にはいたらない」(p.16)

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

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