福岡正夫「高橋誠一郎の経済原論」

 というわけで高橋誠一郎生誕125年を記念した公開講演会にいってきました。慶応の旧図書館ってステンドグラスがあるんですねえ。綺麗だなあ。会場は100人ぐらいで混雑。僕なんかすごく若い方かも 笑

 さて福岡氏の講演は、高橋誠一郎の慶応での経済原論の講義の印象と、『経済原論』という書籍の内容の二点をめぐるものだった。要点は、高橋が経済学の多様性を原論レベルで認めていたということと、『経済原論』は原論というよりも、内容はさまざまな経済学者からの引用からなる学史的な本である、ということだった。

 この『経済原論』は消費・生産・交換・分配の四部門にわかれていて、当時有名だったオーストリアのフィリポビッチの経済学の影響などをうけていた、と福岡氏は言及していた。

 ところで僕は福岡氏やそして司会をしていた池田幸弘氏のまとめである「高橋が多様なパラダイムを認めていた」という趣旨の発言とはちょっと違うんではないか、と思っている。むしろ高橋のこの原論の四部門をみれば、おそらくドイツ経済学を研究している人であるならば、すごくオーソドックスな構成であることに気がつくはずだ。と同時に、高橋誠一郎の先生でもあり、慶応の経済学に重要な足跡を残した福田徳三がすでに大正のはじめにこの四部門構想を批判し、彼の独自の二部門体系(生産と流通)を広く世に問うていたことも、おそらく高橋が原論を講義していた時代では周知のことだったろう。このブログでもここのエントリーですでにこの四部門体系への福田の批判は書いているので参照されたい。つまりここで僕は高橋が師の福田の二分法ではなくあえて旧来の四分法を採用したことに、福田批判もしくは福田的な経済循環論重視の立場への批判をみるべきだと思うのだが。多様なパラダイムを認めたというよりも、ある種の立場を否定した保守的な立場ともいえる。

 それと福岡氏が最後にハロッド・ドーマー的な要素をみてとった高橋の議論がある。それは『原論』第二編消費第6章しゃしの個所である。これは福岡氏の解説によると、投資→生産能力増加→消費財の生産増加→消費の需要増加⇔所得の増加の必要 という最後の所得の増加がなければ経済が発展しないことに注目している。福岡氏の現代風解釈は非常に面白いと思った。ただこれも古い話で申し訳ないが例えばR.リーフマンという経済学者が1920年代だかに書いていた議論そのままである(翻訳もある)。福田はおそらくこのリーフマンの議論も頭にいれていて(実際に参照もしている)、この生産能力の増加+消費財の生産増加が、需要の増加に見合うように調整する「企業家」の地位の重要性を説いた。いわゆる「収支適合」をはかり、経済循環の調整役というきわめて重要な役回りを「企業家」に与えたわけである。福田の生産と流通という二部門体系は、「企業家」によってまた調整されているわけである。これが福田がリーフマンらの原論から得た想見でもあり、また彼の原論構成の肝でもあった。そういうところを高橋原論がどう意識していたのか、そこらへんも知りたかった。

 福岡氏の報告は理路整然としていてわかりやすく行ってよかった。猪木武徳氏の報告は仕事の都合で聞く余裕がなかったのは残念。ただレジュメは運よくあるのでそれでいろいろ想像をたくましくしている。