「ムダの削減」も「予算の組み替え」もほとんど同じ

 たまたまNHKの時事公論「鳩山新政権の経済運営は?」(NHK解説委員山田伸二)を見た。山田氏の解説を見ながら、例えば政権の考える子ども手当の規模が防衛費などと拮抗する巨額であることなどが図表でさすがテレビ的にわかりやすく構成されていた。しかしこれらの民主党の「財源」にふれたところで、山田氏が「予算の組み替え」だとプラスマイナスゼロであり景気への効果がないが、「ムダの削減」での「財源」調達だと景気効果がある、という趣旨のことをいったと思う。

 録画していなかったので正確ではないかもしれないが、これはおかしい話だと思う。「ムダの削減」自体は政府部門の効率化を促すという意味ならばどんどんやってもらうのはいいが、それで浮いたお金を子ども手当にまわすというのであれば、それは「予算の組み替え」と同じで原則プラスマイナスゼロであり、大して景気効果はないだろう。

 比喩でいえば、経済がいま椅子取りゲームだとして、椅子が5個あって、それに座ろうとしている人が椅子の数以上あるとしよう。すわれない人はこのゲームで損をする人、経済でいえば失業者と同じと考えられる。景気対策はこのすわれる椅子の数を増やして、より多くの人が損をしないゲームにしようというものだ。で、「予算の組み替え」というのは、座る椅子の数を変えないで、誰か(ここでは鳩山政権)が、「こちらの椅子に座っていいのはあなた、こちらの椅子に座っていいのはあなた」と座る椅子と人間の組み合わせを変えるだけである。すわれないひとはすわれないままである。この意味で、山田解説委員のプラスマイナスゼロという発言は基本的に正しい。

 では「ムダの削減」とはこの比喩でどう考えるべきか。これも椅子の数は増えない。なぜなら椅子取りの椅子がガタガタになって壊れていて、それはもうゲームに使うことができない、といってその椅子をゲームから排除するのが、「ムダの削減」だ。これだとさらにゲームの椅子の数が減るが、これをちゃんと真新しいのか、そこそこゲームに使えるように直してか、あるいはガタガタしている椅子でも座るのに不便を感じない人に、この椅子を提供するのが、「ムダの削減」を「財源」にする場合のケースである。当然に椅子の数は増えない(予算の組み替えよりも減る可能性がこのムダの削減にはついてまわることにくれぐれも注意を)。

 山田解説委員の独自の持論としては、積極的な金融政策への認識の欠如が毎度あるように思える。日本銀行も広義の政府機関であり、鳩山新政権がこの日本銀行とどのように財政金融政策を協調して行うかが、欧米のケースをみても重要ではないのだろうか?

 対して、山田解説委員の重要視した政策は、環境や介護などの「産業政策」であった。仮にこれらの分野が彼のいうように成長分野であるならば、市場の機能を高めればいいだけで、政府の産業政策など不用であろう。むしろそのようなムダな産業政策はせっかく政権が「ムダの削減」をしても新たなムダの発生にもつながることで長期的な成長を阻害するのではないか。

 NHKは一度解説委員の発言をきちんと精査し、よりバランスのとれた、そして国際的に標準的な見解のある人に代えたほうが、より公共放送の地位を高めるのではないか。一部の解説委員のユニークだが、標準ならざる意見が公共の場で主流になることで、多くのまともな意見が排除されるのならば、それこそ公共放送の長期的な成長を阻害するだろう。