現代経済思想研究会(中野剛志『国力論』)

 たいへん疲れた。1時半から開始して6時まで行われたわけだが、もう少し時間を短縮した方がいいと思う。途中で一回質問したときと、最後の1時間のフリー討論で再度質問したときの僕の体力の減少度はかなりなものだった。あと換気が何気に悪くて頭が痛かった。例えば、開始時間を3時くらいにして、終了を5時半くらいにしても十分議論は尽くせたように思う。コメンテーターも多く、(僕はしたけれども 笑)途中で質問ができないために、研究会というよりも3時間ぐらいのシンポジウムにおまけの討論がくっいているような感じで、若い人が多いにもかかわらずなんだか堅苦しく思えた(まあ、僕が融通無碍というかファンキーすぎるのかもしれんけどw)。まあ、ここはもう少し弾力的な感じでやれればいいんじゃないかな。お願いします

 で、中野氏の報告なんだけど、僕の成果としては若田部さんのコメントで参照されていたいくつかの未見の文献を知れたのは勉強になった。あと若田部さんがホワイトボードに四象限の図を書いて、中野理論(N-Historyと会場ではとりあえず命名)の位置を示してくれたのが、わりと僕にはよかったと思う。その図はほかの象限になにが書いてあったかメモとるの忘れたが、基本は以下みたいな感じ。お絵かきで書いたので汚いけど許されよ



やはり稲葉さんの指摘にもあるように解釈学的な方法論は、メタ方法論であったりするわけで、それ自体が何か政策決定のアンカーであったりするものじゃない。世の中の現象が評価するもの自身を含めて多様な解釈を許す可能性だけがあるだけで、いったいどの解釈が正しいのかはむしろどうでもいいという感じ(つうかメタ理論にそんなことができるわけもないんだろう)。

もちろん国力が経済厚生(利潤最大化とか効用最大化とか)と対立にあり、また方法論的個人主義と対立関係にあるわけだから、この二点だけは経済世界の解釈としては許容できない、ということを、N-Historyは要求はしている。

これへのコメントとしては、三木清とか昭和研究会の業績など、主に僕が『経済政策形成の研究」で書いたことを援用したんだけど、まあ、いまちょっとここでそれを詳しく書くのは疲れたのでやめておく。関心のある人は同書を参照にされたい。上の解釈学と国力の経済学というのは、昭和研究会の三木清笠信太郎の業績なんかそんな感じ。これを僕は中野氏を称賛した西部、中野氏自身は親近性を否定していた村上泰亮の開発主義と結びつけたのが、拙著の『経済政策を歴史に学ぶ』。そこでは解釈学的な方法論が、なんか官僚的な詭弁というか、本人たちは否定しているにもかかわらず、単なる相対主義に堕していることも指摘したつもり。

あと僕がなぜか竹中平蔵氏を肯定的に評価したり 笑)したのがたぶん面白いネタを提供したろう。

しかし今日の報告とか、最近のいろんな流れからみると、中途で方針変更した村上泰亮論みたいなものが必要とされてるのかも。再試行の余地ありと思った。

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克

経済政策形成の研究―既得観念と経済学の相克