石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(その1)

最近、プランゲ文庫の調査をする過程で、石橋湛山の全集未収録講演録を発見しましたので、連休を契機にして、 何回か分割して掲載したいと思います。


インフレ対策と経済安定(昭和21年9月10日発行「特集雑誌 自由国民 通貨不安はどうある」掲載)


石橋湛山

(1)

 今度の戦争で我が日本が非常な損害を受けましたことは言ふまでもありませんが、その中に於いても殊に多くの国民が前提に対して悲観する一つの大きな損害は、領土を縮小したことでせう。日本の領土は、今や北海道、本州、四国、九州を州なるものとして、その周囲の若干の島嶼が領土として残されるに止まり、台湾、朝鮮、樺太などは、すべて今後我が領土でなくなる訳です。そこで日清戦争後の日本の人口は4,5千万でしたが、その程度の人口ならば、此の狭くなった領土でも養へるかも知れぬが、今日七千万、八千万に達する日本国民を、斯様な狭い領土で養ふことは非常に困難だ、斯う云ふ悲観説であります。
 しかし私は戦争の損害の最も大きな部分の領土問題についても、実は悲観をして居ない一人です。領土縮小後と雖も日本の経済は再建可能である、否、今までよりもつと立派な経済を打ち樹て得る、斯様に私は確信してをる者であります。

 何故かと云ふと、吾々は今まで台湾から砂糖を移入し、或は朝鮮かっら米を移入した、その他、種々の物資を海外領土から移入しましいたが、しかしこれは決してただ持って来たのではないのです。内地で消費するところの物は、悉く内地の国民が何等かの形で働き出した物を海外へ輸出し、或いは労力そのものを輸出して、その代償として海外から種々な物を求めて来たのです。その関係に於いては朝鮮、台湾の如く我が海外領土から持って来る場合も、また我が領土でない純然たる外国から持って来る場合も何等の相違はなかったのですから、今後若し我国に外国貿易が許されるならば、たとへ海外領土を喪っても、海外から必要な物資を輸入して来る途は開かれて来る訳です。

 幸ひ、我が国内は戦争に因って相当損害を受けて居るが、なほ日本の平和経済を営むに足りる施設は残って居ります。今後賠償として残存施設の若干を取り去られるでしょうが、これも幸いにして連合国に、ご承知のように、日本の平和経済を維持するに必要な施設は残すという方針です。
 特に吾々の頼りにする所は八千万に垂んとする日本国民が茲に健在して居るという一事であります。経済の源、生産の源は結局人間の労力である、これは経済学の鼻祖といはれるアダム・スミスの富国論以来の経済学の鉄則です。此の労力を八千万も吾々は確保しているのであります。

 中には領土が狭く人口が多い、従って所謂人口過剰の現象を呈するのではないかという心配をする人もありますが、これは其の経済の営み方如何にかかはることです。産業がその人口を吸収する如き構成を持ってをる場合には、さうして外国貿易が営まれる場合には、決して人口過剰の現象を呈しないことは、ひとり日本の場合ばかりではなく、世界の他の国にも其の例のあることで蒙も憂るに足らないと私は信じます。人口過剰の現象と云ふのは、要するにうまく全国民が働くシステムができない場合です。そのシステムが出来さえすれば人口が多すぎると云ふことは決してない。是は一例ですが、スイスがやって居る時計工業のような精密工業が日本の地方地方にまで普及して、その生産品がどんどん海外に輸出される、その代わりに日本の必要とする食料或はその他の原料が十分に輸入されるならば、八千万の国民が衣食するに十分な所得を得ることは可能と思います。(続く)


(解説)
 湛山は戦前から一貫して、日本の対外植民地政策について反対を唱えた。日本が対外進出を行う際のひとつのイデオロギーは、この論説にもある日本の領土では過剰人口を維持できない、という考えであった。それに対して湛山は、対外交易を盛んにすることで、そのような対外植民地は不用であること、そのための外国への軍事進出を経済学的な見地から厳しく批判した。

 戦後において植民地を喪失し、過剰人口を養えるのか、という社会不安に対して、湛山は戦前の論の延長で、対外交易を盛んにすること、平和経済の構築とそれによる既存労働力の効率的な利用を行うことで、軍事で儲けることを考える戦前型経済からの脱却を説いたといえる。

 では、既存の労働力をいかに効率的に利用すべきか。湛山の講演は続く。