竹内薫「引用禁止のSFマンガ」

 最近、経済系ブログがマンガ系ブログよりアクセス数が少ないのは経済問題がどうでもいいからみたいな趣旨の発言をいわれて(いった本人は気がついてないでしょうがw)、正直、ガクッときたのと同時に傷ついている田中です 笑。まあ、そんなこといったらしょこたんブログとかアイドル系のブログの前ではマンガも経済もな〜んの役も魅力もない役立たず情報の山ですがw 

 とはいえ、なんかカチンときてて、最近、マンガ業界、その反映としてのマンガ批評界にシニカルな田中に変身中です(まあ、もともとアメコミ論争でシニカルから出発しているのは間違いないのですがw)。そういうマンガ関係者の意図せざるゴーマンな態度が物凄く不愉快です。不愉快なのは僕の感情なので理解も支持もいりませんが(それに正直、マンガよりも経済のこと考えるとそのような些細な感情が消失するほどいまの状況は深刻です……もちろんマンガ界だって経済問題を放置してこのまま安泰のわけはないのですが、マンガ産業論は構造問題と産業政策が主流なのでその点でも何をいってもorz

 そんななかマンガ業界のゴーマンな姿勢を批判した好エッセイが、竹内氏の『Voice』論説です。正直、実際の法解釈は調べてませんが、少なくとも研究論文とかでマンガを「引用」する行為が、それが「転載」とされて作者や版元から使用料や許諾確認の請求などがきたら研究者は軒並み困ってしまうでしょう。

 竹内さんは、「ところが、最高裁判決以後も、業界ではマンガの引用を「転載」とし、作者と版元にお伺いをたて、許可が出たら使用料を払う、という行為がまかり通っていたのである。最高裁も虚仮にされたものだ」と書いています。これは小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』についての最高裁判決のことで、竹内さんはこの判決を「マンガも通常の書籍同様、引用する行為そのものは適法だ、という判決としてとらえるのが妥当だろう」と解釈しています。この解釈が法解釈的に妥当かどうかは専門家にお任せしますが、少なくとも竹内さんの場合はコマの引用であるSFマンガが引用不許可になり、しかもコマにあるセリフまで!引用不許可になつたというマンガ界の慣行を紹介しています。まるでどこかの夢の国を思い出させる話ですが 笑。笑で終わるのも申し訳ないのですが、いくらなんでもやりすぎに思えます。ふと思いましたが、昨日のエントリーに書いた業界ヨイショベスト本がああいうヨイショなのは、ひょっとしたらそうしないとコマも使用できないというこの「慣習」のせいだったりして。

 「合理的なヨイショ」か。