脱藩官僚の会雑感

 ちょっと調べ物があり「脱藩官僚」をぐぐったら、匿名官僚bewaadさんとこhttp://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080617がでてきてしばらく読みふける。内部の人の突っ込みみたいだが、それは「プロ」にまかせるとして、その脱藩官僚の会の役割はなんなんだろうか? と考えた。

 高橋洋一さんの『霞が関をぶっ壊せ!』によれば、リボルビングドア(回転ドア)を通して、縦割りで閉鎖的な官僚社会に、「民間」的な刺激を与えることが利点らしい。縦割り行政ではでてこない代替的な視点を提起できる、というわけだ。これは脱藩官僚だけではなく、民間人でも大学の先生でもいい、と高橋さんはいっている。このような雇用・任用の流動性が異なる社会との交流を増すことになり、それが組織や組織の中の人たちの向上心に結び付くことを、小池和男氏はかって「接触効果」と名付けた(猪木武徳『学校と工場』109頁)。この効果は重要だろう。

学校と工場―日本の人的資源 (20世紀の日本)

学校と工場―日本の人的資源 (20世紀の日本)

 ところで脱藩官僚の会をみたんだけども、その役員の経歴が興味深い。みんな大学の先生か政治家の経歴をもっている人ばかりである。

 これはどういうことだろうか? 脱藩官僚の人たちはとりあえず出身官庁の利権にとらわれない(=天下りを拒否した)ことを特徴としているという。ならば天下り先の企業以外の民間企業に勤めている人が何人かいても不思議ではないのだが、ほぼ誰もいない。天下り先以外の民間企業は、天下りを拒否した上級公務員出身者はいらない、ということなのだろうか。

 確かに彼らのスキルは出身母体が行っている政策への代替案の提起や、あるいは出身母体そのものの批判などが中核であり、そのスキルはまさに大学の先生や政治家向きといえるのかもしれない。例えばアメコミ研究者(この時点で在野ほぼ決定w)や「歌って踊れるエコノミスト」ならぬカラオケ歌手などでフリーで食べていくという荊と快楽の道を選んだ脱藩官僚は今後もでる可能性はすくなさそうだ。つまり脱藩官僚という存在がちゃんと定義できるとしてw、彼らがリボルビングドアを利用して再度公務員の世界に復帰するまでは、政治や大学がその生計の場に今後ともなっていくのだろう。

 ところでbewaadさんが「いかほどの「知識、経験等を蓄積」されてきたのか、陰湿にネチネチとチェックしたくなってくるというものです」と書かれているが、それはbewaadさんが一々文章の揚げ足取りをするまでもなく、とりあえず民間の大学で講義をした経験があれば自明だが、受講している学生の評価、あるいは脱藩官僚たちの研究・教育業績が明示するんでしょう。その意味でも大学は公務員制度改革の中で意外と重要なジョブ形成の輪をなしているんだなあ、と思った。それ以上はまだ何も考えてないけれども。

霞が関をぶっ壊せ!

霞が関をぶっ壊せ!