独法改革から見えるもの


 昔のエントリーなどから再構成した短文。

独法改革から見えるもの

 独立行政法人改革は大した成果をあげずに終わってしまいそうである。官僚たちの抵抗力はたいしたものだと妙に感心してしまう。
評論家の山形浩生は、日本の官僚は総じて優秀であり、弊害はあるが天下りのよい面を維持するか、そうでなければお金を掛けるなど優秀な人材を集めるかしなくてはいけない、と述べていた。この山形の主張に対して、若田部昌澄(早稲田大学教授)が反論を行った。最近の国家公務員Ⅰ種などの官僚人気の低迷は、一生勤めるか辞めるかといった公務員の流動性の欠如が官僚の魅力を減じているからである。だから民間との流動性を高めることが公務員の質を高めることになるだろう。山形のように人材の流出の心配よりもむしろ民間との流出入を心配すべきである。さらに天下りの社会的コストが大きすぎる。独立行政法人天下りすることで、組織が非効率的になっているのではないか。
独立行政法人の多くがあまりにムダであることが自明であり、天下りの多寡を論じるといったデリケートな問題は枝葉末節に思える。天下り自体よりも、天下り先の非効率性自体を問題にしたほうが論点をしぼりやすいのだ。たしかに「天下ったあいつが犯人だ」と名指してその責任を追及するのも一案だが、その検証は難しい。組織自体の効率性を高めるかあるいは廃止すれば、自然と天下り役員への報酬が妥当なものかどうかも判別されていくことになる。
ところで天下りを政府がコントロールし、または独立行政法人を廃止・削減することは、多くの官僚たちにとっては死活問題である。実際に報酬と働き場所ほど人の行動の源泉になるものはあまりない。官僚が国益を最大化するために行動するというよりも、彼らの報酬や待遇を最大化するために行動していると考えたほうが無理はない。
この点をおさえた上で注目したいことがある。福田政権になってから最近の消費税増税議論の高まりと改革の後退がどうもリンクしているのではないか、と思われることだ。この点をみるのに便利な仮説に、国際的に著名な公共経済学者の柴田弘文が提出したものがある。柴田によれば、財務省はしばしば不況時に緊縮財政を採用しているという。財務省の予算編成権限に影響をもつ官僚たちは、できるだけ自由裁量的な予算を獲得しようとする。その理由は将来の天下り先への影響や財務省の省庁間での優位性の獲得などの省益に由来する。だが不況になると税収減などで予算総額が圧縮されるため、そのような自由裁量的予算の確保が難しくなる。しかも国債発行の増額への要求が高まるかもしれない。しかし予算編成の権限者たちは、そのような要求は省益を長期的に損ねるものとの映る。なぜなら国債は将来返済しなくてはいけない「固定費」であり、これは将来的な財務省の自由裁量的予算の幅を好不況に関係なく圧縮するからである。したがって不況の色彩が強まれば強まるほど、将来的な権力の喪失を回避するために財務省国債の発行に慎重になり、緊縮型の財政を目指すことになる。
この柴田仮説を現状にあてはめてみよう。まず政府部内におけるいわゆる「財政再建派」というわれる人たちの目的は、消費税増税である。これは予算総額を拡大する方向に寄与するため予算編成の自由度を将来的に増す方向に寄与する。他方で名目成長率を上昇させる政策も税収増に結び付くという見方があるが、「財政再建派」はそのような見方を「悪魔」的と否定している。その財務省的な理由としては、名目成長率が上昇すれば国債の利払い費が膨張し、柴田仮説にあるように「固定費」がかさむことで自由裁量権がそれだけ喪失すると考えるからであろう。さらに天下り規制の事実上の骨抜きや独法改革反対も彼らの省益確保からいえば当然の選択になる。
現状では消費税は先送りされた。しかし先行きの経済が不透明であるが、その不透明度が増すとともに、実際には増税の合唱と「改革」先送りの通奏低音が今後も鳴り響くだろう。