明日、書店に並ぶ『週刊東洋経済』から原田泰さんの「いまこそ必要な流通革命」を読んでいろいろ考えさせられるところがあった。
原田論説の要旨は以下のようなものである。
従来の政治は支持団体への利益配分だった。公共事業も補助金も関係団体に与えて、それが団体の構成メンバー(投票権者)に流れることで支持を集めていた。
しかしこれは無駄が多い支持者への利益配分方法である。例えば公共事業で支持団体に資金が回っても、実は地元の有権者の懐に入るの一部分であり、多くは都会の大企業の懐に入る。しかも長期的にはハコモノは地元の有権者の負担になってしまう。
むしろいまは直接に、年金でも医療でも介護でも個人に配ったほうが、政治の集票としては「安上がり」になっている。もちろん理念だけで支持者を得ることができるという見方もあるが、原田さんは「現実主義者の私は、やはりカネを配らない政治は難しすぎると思う。それに、日本はすでに個人に配るシステムになりつつある。年金も医療も介護も、団体に配るのではなく、個人に配る福祉政策であり(医療は団体に配る政策が濃厚に残っているが)、それが集票システムにもなっている」と指摘している。
確かに原田さんの指摘は興味深い。例えば現在の各政党の主要政策目的をみても、個人の利益に配慮した政策課題が目白押しだ。「格差」問題であってもそうだろう。「教育」や「環境」を政策の主軸にすえている政党はほとんど皆無であり、あったとしても票を集めることは難しいのではないだろうか? と僕も思う。
原田さんは、支持団体にお金を配ることは非効率的を生み出しやすく、むしろ非効率的な公共事業に投資するくらいならば、個人に直接配ったほうが無駄を削減できるではないか、と指摘している。
このような原田さんの議論の背景を考えると、例えばマンサー・オルソンが『集合行為の理論』などで展開した集合財モデルに似ている。オルソンは比較的小規模な圧力団体が、政治的な圧力を通じて、集合財の供給において非効率性を生み出すと主張していた。
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ところで原田論説からは、年金や医療など直接にお金の配分をもらう個人の集合と、他方で旧来の支持団体との間での競合の可能性はあまり明示的に議論されていない。この点を加味すればどうなるのだろうか?