外山滋比古ブームをきっかけに(世界を編集する、という妄想を抱いていた頃)


 外山先生がブームみたいだ。『Voice』の最新号にもそのお姿を拝見することができるし、一番驚いたのがこのブログでもつい数日前におススメした『本を読む本』を、僕は全然わからない人なのだが(でも拙著を献本したんだけども 笑)勝間和代さんという人が推薦していることで、ここ数日ちょっとした近所の本屋でもこの翻訳が目立つところに置かれている。


 僕にとって外山先生ご自身の著作は、『エディターシップ』に尽きる。


外山滋比古著作集〈4〉エディターシップ

外山滋比古著作集〈4〉エディターシップ


 僕は会社員をやめ、2年近く「ニート」時代があった。その間に何をしていたかというとひたすら読書と散歩だったのだが、読書のテーマは大学院勉強用の経済学ではなく、もっぱら幻想小説と編集者ないし編集そのものを考える本であった。その過程で外山先生の上記の著作に魅せられた。


 僕のその頃の「編集」というものへの認識は「世界を編集する」というコンセプトだった。まさに複素編集学である。笑。ところで日本の実力があるといわれる編集者、元編集者の本を何冊もそのとき読んだのだが、「世界を編集する」というコンセプトを補強することはもちろん、「編集」そのものについてもまったく役にたたなかった。その代表が松岡正剛氏のものであったり、最近でいえば粕谷 一希氏の著作であったりする。彼らの多くの著作は「編集」を客体視して分析しているわけではかった。あくまで本人自らが創作者となって作品を書いているだけなのだ。


 そして「編集」そのものについては編集者以外の人たちの著作から得るものが多かったのである。これも以前、とりあげた常盤新平の『アメリカの編集者たち』はその代表であり、何度も読み返したものである。そして外山氏の本がそれに続いた。海外には編集者の伝記も多く、その中でもインスピレーションを与えてくれるものとしては、以下のものがある。この二冊の翻訳については気が向けばそのうち内容を紹介したい。


名編集者パーキンズ―作家の才能を引きだす〈上〉

名編集者パーキンズ―作家の才能を引きだす〈上〉

ガストン・ガリマール―フランス出版の半世紀

ガストン・ガリマール―フランス出版の半世紀


 そして直接、「世界を編集する」という観点に近いものとしては、これは大学院に入りしばらくしてから知った大熊信行の戦前の著作、そして戦後では 梅棹 忠夫の『情報論ノート』にそのような発想があるように思える。いまでもごくたまにこの複素編集ネタ(笑)が頭をよぎる。しかし世界を編集する、というのはいったいいかなる愚想なのか、自分で抱いておきながらいまだによくはわからない(GoogleWikipediaでおちをつけるつもりは当面はないのだが 笑)。