月曜に少なくとも都内は店頭にならぶ週刊東洋経済をいち早く頂いてるのでマターリと感想をいうコーナーです〔前からありますがw
大竹文雄さんへの異論を池尾和人氏が長く書いてます。例の消費者金利規制について。この点については大竹さんの方が参考になりました。
それと巻頭の「経済を見る眼」の吉川洋氏の「チンパンジーにみる「平等の起源」」は、所得再分配の基礎である「結果の平等」をチンパンジー社会や狩猟採集民の社会に求めている論考でして、これは以前、ここでも書きました私の福田徳三論の一部分である生存権の経済学的基礎づけと共鳴するところあって非情に参考になりました。経済的な「成果」は偶然にもたらされるかもしれないので、「偶然に左右される分配を放置すれば、社会の安定は大きく損なわれるだろう。そう考えれば「結果の平等」を求める狩猟採集民の社会にはそれなりの合理性があるといえる」とします。これは生存権の経済学基礎としての偶然性がもたらすコスト(成果が偶然で生じたかどうかを調べるコストも含めて)のできるだけの縮減化とも読めます。
実はこういったチンパンジーはさておき、狩猟採集民社会における再分配の起源についての考察は、日本の経済学者は歴史学派経済学や物的厚生学派などから継承していて、人類学やその他の「専門外」の領域にまたがって積極的に意見を述べて、知識を共有していたのですが、そのような伝統は現在ほぼ死滅してしまいましたね。経済人類学の研究はその一部分の専門化です。戦前ではこのような人類学的経済学が、ケネーをキーにして市場経済のダイナミズムを説明するロジックの一環でもあったけです。もっともここでも戦前の日本での人類学的経済学の位置づけは、マルクス経済学との白熱した論争を生んだんですが、それはまたいずれ。
ともかく吉川先生の論考は、田中的にはこの偶然性のコストの縮減化しか当面、生存権の経済学的基礎づけはないんじゃないか? と思っていましたので、その点で面白く読めました。