靖国神社の「右の左翼」論

 本日発売の『週刊文春』ですが、久しぶりに読んだ猪瀬直樹さんの「ニュースの考古学」の「「右の左翼」のプロパガンダで孤立する靖国神社」は非常に面白く読めました。


 猪瀬さんが靖国神社にいき遊就館に行くというルポなわけですが、その遊就館で上映されていた映画や『遊就館図録』での日米開戦の説明への批判です。なんでも映画とその図録では、日米開戦はアメリカが不況を脱出するための日本に仕掛けてきた、という「事実」が宣伝されているということです。映画の方はなんでも櫻井よしこ風なナレーションをイメージしてもらいたいとのことで今度いって確認したいと思いますがw 図録の方の説明は以下のようです(ニュースの考古学からまた引き)。


「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(1940)年十一月、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮した。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意思に行き詰まっていた。米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」


 この靖国神社史観に、猪瀬さんはこんなの謀略史観、日本を罠にはめて目的であったアメリカ経済復活を果たすなどとは珍奇、と最もな批判をしております。


 私が面白いと思ったのは、猪瀬さんも表現してます「右の左翼」の「左翼」的知識人、例えば都留重人は戦時下(昭和19年)、東大で行った講義録の中でルーズベルトニューディール政策が戦争にいたる道を用意した、と書いていまして、いわゆる「ケインズ政策が戦争の原因説」を披瀝しています。日本の経済思想のシーンの中で以後この都留史観は強力な反ケインズ政策の理屈付けとして今日まで命脈を保っています。


 まさに遊就館の映画と図録で展開された史観は、この都留的な「ケインズ政策が戦争の原因説」と符合し、その後裔といってもよかろうかと推察いたします。その意味で、猪瀬さんがこの遊就館靖国神社の史観を「右の左翼」と表現したのは面白いと思いました。


 ちなみに私には右左という区別はレトリック以上の意味しか今のところはないわけですが、この猪瀬さんの批判はレトリック以上の指摘を行っていると思いました。