書評:安達誠司『脱デフレの歴史分析 「政策レジーム」転換でたどる近代日本』

 歴史の教訓という使い古された言い方があるが、「第1回河上肇賞」受賞作である本書はこの言葉のもつ本当の重みを読者に伝えるにちがいない。江戸末期から敗戦までの日本近代の成功と失敗を、「政策レジーム」という一貫した視線から、きわめて鋭利にそして大胆に描き切っている。「政策レジーム」とは、政策当局者の採用する経済政策の一群のルールをさしている。人々がどのように経済の行方を予想し行動するかを決める上で政策レジームのあり方は重要なものとなっている。例えば戦前の昭和恐慌から日本経済がすみやかに脱出したのは、旧平価金解禁によるデフレ政策から金本位制離脱によるリフレーション政策(低いインフレを目指す通貨膨張政策)への政策レジームの転換が決定的であったことが本書で論証されている。この日本のデフレ不況からの脱出における政策レジームの転換への注目は、著者らいわゆる「リフレ派」の貢献であったが、本書ではさらに視野が雄大かつ複眼的なものになっている。

日本の近代の経験を、通貨制度の選択という問題に焦点をあて、経済政策のレジームだけではなく、外交政策のレジームの問題も合わせて考察するという政治経済学的なアプローチをとり、当時の政治状況の中での政策選択が社会各層の利害関係やさまざまな思想的イデオロギーの産物であったことを明瞭にしている。

本書の行った通説の破壊は衝撃的ですらある。政策レジームの観点からは、明治維新は政策の転換ではなかったこと、いわゆる「松方デフレ」がデフレーションによる構造改革の推進というよりも、むしろ通貨制度の幸運な選択が導いた円安効果による経済拡大路線の成果だったことが解明されている。さらに高橋是清による昭和恐慌の脱出は、日本をデフレ不況から救ったものの軍備拡張主義と手を切ることができない「擬似的小日本主義レジーム」であったため、やがて日本は「大東亜共栄圏レジーム」の勝利という敗戦の道に転がり落ちたことも説得的に描かれている。

本書では通貨制度の選択が近代日本の針路において決定的な役割をもったこと、そして政策当事者が目先の利害にとらわれ過去の教訓をまったく活かさないことで失敗に失敗を重ねたことが明らかにされている。また今日の「東アジア共同体構想」についてもそれが誤った通貨制度の選択であると著者は否定的である。

意欲的な主張に満ちた本書はその斬新さと奥行きの深さで、まさに思想的な事件であるといえよう。

脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本

脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本

エコノミスト』掲載のものの元原稿。参照される際は『エコノミスト』本誌のほうでよろしくお願いします。