小田嶋隆『もっと地雷を踏む勇気』

 『地雷を踏む勇気』に続く技術評論社からのエッセイ集。小田嶋さんはいまの日本ではめっきり少なくなった辛口の評論を書ける人だと思います。本当にいなくなったんですよね、ただなぜか僕のまわりではまだわりと多いんですけど。類は友をよぶ? 笑。

 頂戴して速攻で拝読しました。多くはすでにネットに掲載されたときに読んだものなんですが、僕のブログの記事を引用していただいた「「大予言」とオウムと「グレート・リセッション」」は、小田嶋さんと僕との共通項が見えて面白いものです。

 昭和の時代の陰謀論は、陰謀論の語り手の機知と教養を示すことであり、それを聞き手の方も(本気に信じているわけではなくその種の機知と教養を)理解していた、という相互の構造は、確かにいまは見られなくなりつつありますが、ここらへんも工夫次第で知的な伝統芸(?)を復活させたいものですね。だってまじめで本当の話ばかりだと正直疲れちゃいますから。そのために芸風としての陰謀論(みんな本当ではないと知りつつ、その陰謀話になにかしら事実を批判するものを見出す知的環境)の再現を、みたいですねえ。

 ただ今の21世紀の陰謀論の多くは、本気で信じよ、とかその類が多くて小田嶋さんが指摘するように「凶悪」的な側面もありますよね。あと陰謀論と政治経済学的手法やゲーム理論の帰結なんかをごっちゃにする人も非常に多くて驚いてしまうのも事実です。これも小田嶋さんのいうように、陰謀論を語り語られるものたちの知的水準の低下に原因があるんでしょうね。

 ノマド・ワーキングの批判的な見直し、また「ナマポ」という差別的な言葉を安易に流すマスコミの報道の在り方への批判など、小田嶋さんの理知的な批評がさえてます。

 まだファンになってない方はぜひお手にとって読んでください。

もっと地雷を踏む勇気 ~わが炎上の日々 (生きる技術! 叢書)

もっと地雷を踏む勇気 ~わが炎上の日々 (生きる技術! 叢書)

福島県の経済メモ

 福島県の経済についてデータの出所と簡単なコメント(Twitterでつぶやいたもの)

 福島経済をみると公共事業のすごさと同時にダメさの両方のサンプルとして重要かもね。あまりにも一時的刺激すぎる。

 福島県経済の統計をみると典型的な公共事業投資だけある時は経済は盛り上がるが終われば急速に元の厳しい状況に戻る、という展開になっていそう。鉱工業生産指数の動きの鈍さ、県内消費者物価指数の動きなどに注意。

 参照資料 http://t.co/2y9qPMLj

 福島の雇用関係みても典型的な一時的な公共事業依存の帰結が観測できる。一時的に急増加している震災関連の求人などがけん引しているのは確か。他方で、製造業やサービス産業は雇用環境が伸び悩み&急速に悪化している。雇用は経済実態を遅れて反映しているのでたぶん現状はもっと回復のペースが鈍化か。

 福島労働局の雇用統計。http://t.co/wAIXKDWX

 福島の震災復興と阪神淡路の震災復興がほとんど同じ構造。一時的な公共事業依存での「回復」。地域の景気要因を除外すると、さらに復旧が遅れていることも鮮明になっているのではないか。

ちなみに福島県の県の直接雇用(公的雇用)の情報。新規高卒は10名足らず、そのほかの一般枠の求人数は30名。全部が事務(パソコンでの作業など中心)。一般は半年、新規高卒は一年。

 資料 http://t.co/leA30Msy

 福島県の産業構造の特徴(震災前の2010年)。製造業が中心。サービスと小売りがそれに続く。これで全体の売上構成比の65%。建設業のウエイトは全体の1割程度。製造業、サービス、小売りのそれぞれの半分程度。製造業で国内の比較優位がある。

資料 http://t.co/CTcSooof

 福島県の産業別の就業者数の特徴は、製造業が2割(長期的には漸減)、建設は1割(構成比はここ20年以上たいして変わらず)、サービス(新&旧分類)と小売りで全体の半分近くの就業者を吸収。

資料 http://t.co/kMZqlLyg

問題の切り分けが大切ー景気対策とインフラ整備ー

 twitterでつぶやいたものを昇順に構成したもの。

 初歩も理解してない人のパターンは、問題を切り分けられないこと。港湾や道路などの社会資本整備と、デフレ脱却のための金融政策のスタンスの変更が基本的に別問題だと理解不能。なので、金融政策のスタンスを変更すれば、「港湾や道路も自然にできると田中は思ってる」と意味不明なことを書いてしまう。


 例えば港湾や道路などの社会資本整備が、費用便益計算(&いくつかの基準勘案)で作るのが望ましければ、それは失業の改善のあるなしとは別に行うべきだろう。例えば100人の人間がいてその人たちがすべて就業していても、道路整備が上の基準を満たせば、それを行うことは許容される。

 どうも不思議なのは、金融政策のスタンス変更がデフレ脱却に決定的に重要だ、というと、まるで「社会資本整備がいらないというのかあ!」と唸る動物みたいな人たちが増えること。たとえ仮想的に財政政策の効果がゼロでも、別にそれが社会資本整備を行わない理由にはならないんだが。

 あと同じく意味のわからない比較は、例えば民主党子ども手当(現在は廃止)と、自民党の国土強靭計画を、景気への効果で比較してその優劣を競うもの。政策目的の違うものを、無理やり同じ基準で比較している愚の骨頂。子ども手当は、子供を抱える家庭への経済的支援が目的。その見地で考えればいいだけ。


 子供手当が、子供を抱える家庭への経済支援が目的であれば、所得制限とかが政策目的からいうと意味不明な制限だということもわかる。経済学でなくても『失敗の本質』に書いてあるように、日本の政策の失敗の多くは、政策目的があいまいであること、目的と手段の割り当てがきちんと理解されてないこと。

 同じように、防災原則や費用便益分析で、必要だと判断された道路や港湾などの社会資本整備があれば、それが景気対策に効果があるかないかとは関係なく、行う必要がある。なんでこれに一々、景気効果を勘案しなくてはいけないのか? なくてもいいじゃないか。ないと 「心」でも満たされないのか?

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)