西田利貞『人間性はどこから来たか サル学からのアプローチ』

 類人猿の行動がなぜ「経済」に関係するかというと、類人猿の互酬的行動の中に、人間の利己的な交換動機を考えるヒントがあるからでしょう。特に従来、日本の社会科学はなぜ日本人は勤労なのか? という命題を、例えば「家」(会社)、「イエ」、あるいは村落共同体(における宗教的観念)へのコミットが、人々をまじめに働かせる、と解釈する伝統がありました。

 ところが人が勤労であることの証拠は、人類の歴史の中で遍く観察できる現象だといえないでしょうか? むしろ人間の利己的な動機、遺伝子レベルで、「勤労」することが選択されていたら、とりたてて「家」「イエ」「宗教的観念」などに、「近代」的な「勤労」観念の特権的な由来を求める必要もなくなるでしょう。

 そんな関心からこのサル学に注目してます。この西田氏の本はある研究会のテキストなので、昨日読んでいましたが、この分野の教科書的な概説として有益だと思います。僕は他には長谷川寿一長谷川眞理子『進化と人間行動』(東京大学出版会)、本書の冒頭で紹介されている、なぜ現代人は肥満してしまうのかという問い(答えは人は狩猟社会には適応しているが、そのまんまで現代社会に適応できてないから)については、ディラン・エヴァンズの進化心理学の入門書がわかりやすかったです。

人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ (学術選書)

人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ (学術選書)

高橋洋一『恐慌は日本の大チャンス』

 日本で景気対策が事実上不在になった今、高橋さんの復帰は本当に嬉しいことです。この本はネット書店で発売日が一度確定しててその後未定に表示されてましたので出ないんではないか、と思ったのですが、杞憂でした。正直いって冒頭の例の事件については個人的には関心がないのでとばしてさっそく本文へ。

1 日本のGDPギャップは80兆円規模。それを政府紙幣25兆円、金融緩和25兆円、埋蔵金25兆円で対応するというもの。

2 麻生政権時の「官僚専制体制の復活」。景気対策にすべて「基金」が附属していて、それは官僚のピンはねと景気効果の減少を意味する。国民の減税や給付金で使い道の自由な選択をまかせるのがいいのに、日本ではなぜか官僚が使い道を決める手法が採用されてしまう(ここ重要。なぜか減税や給付金がばらまきで効果がないと批判する連中にかぎって、政府や官僚が決める「産業政策」みたいなものが効果がある、という欺瞞が僕の観察でもある)。例:エコポイント制も官僚の天下り先と連動。

3 ETC機器にからむ官僚利権、郵政民営化の見直しへの批判、財務省の植民地のまんまの日本政策投資銀行の「改革」骨抜き+日銀との「共闘」

 この最後の部分はCP購入に関して、日本政策投資銀行を通すとこの銀行が手持ちの債券放出それでCP購入をファイナンス。これでは市中へのマネーの増加がないに等しくなる。日銀の責任回避と日本政策投資銀行に役目を課したい財務省との思惑の一致と高橋さんは指摘している。この協調のあるないは別にして景気効果がなく、また日本政策投資銀行がこれをやる意味がないのは同意。

4 民主党政策評価。是々非々対応。総論的だと民主党の政策はマクロ経済政策ではなく、個々のミクロ的な政策だと、いうのが高橋さんの評価だろう。その延長で序章では、子育て手当が所得の再分配機能を果たすことを指摘している。また農業者への個別保証も農協通すよりも好ましいと、言葉は使わないが「カルドア的補償」であると評価している。その一方で高速道路無料化とガソリン値段引き下げという政策には完全否定するものの、ピークロードプライシング環境税の導入という方向性も民主党は否定すべきではないと提示している感じである。

 上の1〜4は序章部分であり、たぶんこれが民主党政権に交代してから書かれたような感じだ。本文の方が個人的に政府紙幣発行をくだらない理由で批判する人たちへの反論になっていて面白そうである。

恐慌は日本の大チャンス  官僚が隠す75兆円を国民の手に

恐慌は日本の大チャンス 官僚が隠す75兆円を国民の手に

開米潤『松本重治伝 最後のリベラリスト』

 高名なジャーナリスト松本重治の重厚な評伝を頂戴しました。どうもありがとうございます。

松本重治伝 最後のリベラリスト

松本重治伝 最後のリベラリスト

西村佳哲『自分をいかにして生きる』

 いま経済学の古典を再読しようを合言葉に、ジェボンズの『経済学の理論』をわざわざ小泉信三訳で読破したところです。ジェボンズにとって働くことというのは一般的には苦痛でしかない。例外的に仕事自体が楽しくてやっているということも認めているけど基本的には労苦そのものである。この西村氏の本では、多くの学生が仕事をやりたくないことを我慢してやること、ととらえていると書いている。多くの学生はジェボンズ的な労働観をもっていることになるだろう。

 本書で西村氏は大学の講義や、さまざまな働き方の「思想」とでもいうべきものをもっている人たちと対話することを通じて、働くことの意味を再考している。本書の冒頭には、結果や成果としてある「仕事」を波間に浮かぶ小島にたとえている。この小島の例解はなかなか趣味のいいイラストで示されている。他方でこの小島がその海面下では巨大な階層構造をもった基礎に支えられているということを別なイラストとも対比している。人はまま他人の波間に浮かぶ「仕事」しか評価しないことに注意を促しているといえようか。

 問題はそういう膨大な隠れた階層的基礎をつくることができる「仕事」なのかどうかではないだろうか? 多くの「仕事」はそれが不可能ではないだろうか? そういう「隠れた努力」を構築することが最初から不可能なような「仕事」についたときに、人はどうその「仕事」に向きあうべきなのだろうか。自分の仕事観も含めてこの本は、平易でわかりやすい文体とあわせて、改めて働くことの意味を教えてくれるだろう。僕のようなすれた大人ではなく学生が読むべきかもしれないが。

 ちなみに上の労働=苦痛観はジェボンズの労働観の半面でしかない。それについてはジェボンズをこのブログで言及するときに解説したい。

 献本いただいた本です。どうもありがとうございました。

自分をいかして生きる

自分をいかして生きる

フィッシュストーリー

 今年の邦画は『空気人形』と『ハゲタカ』がいままで見た中では傑出していると思ったけど、この映画はまったく別格。『つばさ』つながりで多部未華子が出演しているのもあって軽い気持ちで見たが、見れてラッキー。「正義の味方が地球を救う」ほら話としては史上最強レベル(笑)。これは今年のベスト1じゃないのかな? 

フィッシュストーリー [DVD]

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東京、オリンピック落選

 直前のラジオ番組アクセスで、東京へのオリンピック誘致関連のコメントをやってその余勢でテレビを見る。オリンピックの経済効果というものはかっこつけて置いといて(基本的に変動為替相場制の下での財政政策の効果と同じなんで経済効果ほぼなし。経済効果があるとしたら他の要因=金融政策などが重ならないとダメ)、都民でありながらやはり感情的な部分でも今一オリンピックにピンとこない。

 例えば国際的なスポーツイベントで自国が活躍することに国民の多くが感動することで、国民の厚生が改善するかもしれない。ただそのことと、それが自国開催と必ずしもリンクする必要もないのも事実じゃないでしょうか。例えば混んでて見えにくい会場での観戦よりも、テレビやネットなどで観戦したほうがいいという人もかなりいるだろう。特に時間の余裕がある人が直接自分の国でオリンピックを見たい体感したいと思うのかもしれない。他方で時間的余裕のない人はテレビなどですましたほうがよくあえてそれを直接みる動機が低い。不況が長期化すれば、時間的な余裕のある人が少なくなり、直接オリンピックをみることに時間を割くことができないと予見していれば、そんなに自国での開催に熱心にならないのかもしれないなあ。